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諸事情あって、@manma2016にログイン出来なくなりました。悲しみを背負って生まれ変わります。 そして相変わらず、哲学の感想をプラプラと。

ぷりぷり県さっぱり郡山吉田町
Joined May 2020
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此方のお話でも「というよりは」とある様に、「切り出して」いくためにもそのための素地は予めあってもらわないといけないので、先行研究は畢竟切り出し方次第でどうとでも定まるとまで考えてしまうと、それはそれで適切に先行研究に向き合えずに、どうとでも言える話ばかりする羽目に陥ると思われる。
先行研究というのはそこにあらかじめあるものというよりは、自分で「切り出して」いくものなのだが、その感覚がわからない人にはわからない。
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これも基本飄々としてるけど拘りが強い辺りでこうなった気がする。にしても、そうした人って普通にそこら中にいそうなのに、珍しい方なのかしら。 同じ結果は0.27%でした! きみのなかに、どのポケモンがいる? #ポケモン性格診断 battlenest.jp/shindan/r/973?…
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へえ、やっぱり私は認知の歪みが少ないタイプなのかしら。まあ私はごくごく普通の人間だからこの辺りが妥当ではないかな。 診断結果をシェアします。客観的な印象も聞いてみましょう commutest.com/cognitive-dist…
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その上で少しある歪みの方も自己分析すると、私はコイツが私であるせいで、今までの人生それなりに散々な目に(も)あってきたので、コイツだけは信用ならん!という態度がしみついていて、それが若干の歪み(ネガティブ)判定に繋がったのだろう。 我ながらポンコツ具合だけは相当なものだからなあ。
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(落ちこぼれながら)一応ここの研究室の出身でもある身として、こうした公募は残念に思う。 「若手・女性教員採用のための定員貸与」というなら、(単なる上辺の数合わせでなく)せめて予め女性に絞ることが研究にとって有意義であることが示されてほしい(が、日本哲学でそれは私には考えにくい)。
京都大学文学研究科日本哲学史専修で、女性限定の准教授の公募をしています。募集期間は11月20日までとかなりタイトですが、ご関心のありそうな方にお知らせいただけると幸いです。 jrecin.jst.go.jp/seek/SeekJo…
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なけなしのフォロー(?)も添えると、日本哲学内の分野で研究してる女性の方で(私目線ながら)優秀な人は何人か知ってる。今回も、十分実力がある女性が就任してもおかしくない(上原先生も女性だしね)。 しかしこうした限定公募で採用されたという事実は残り続ける(し、それだけにやはり残念)。
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ところでしかし、此方のお話に関しては実は初めから視点の違いがないのではないか。 「私は猫」でも、(それを読み手が理解する際は)そう見なしている一匹の猫が存在してるという(絵と同じ)描写に置き換わっており、原理的に置き換わる前をそこに対比させるのは不可能だと考えることも可能な筈だ。
絵本では文の視点と絵の視点が異なるものが多いと思う。例えば、「私は猫」と書いてあり猫目線の語りがなされているのに、絵は猫を俯瞰して見た視点から描かれていて猫の視界ではない、というようなもの。もちろん主人公の見た目は情報として知りたいのでいいと思うが、視点が異なるのは不思議だ。
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少なくとも此方の切り取り動画を見る限りでは、この話自体に賛否で反応する程の中身がある様には思えない。 実際に存在する国民に(能力であれ人格であれ何であれ)優劣をつけるならば、(無作為に)より大勢が政治参加すると、政治(この場合は民主主義)が劣化するという話が導かれるに決まってる。
マジで左派の基本的理念がこれで「バカは民主主義に参加するな。俺たち『賢人』が政治する方がよいんだ」とかそのレベルの発言を平気でやるからだめなんですよね。 これマスコミもそうなんですけど「バカが情報を発信するな。俺たち資格がある特権階級が情報を選別して統制すべきだ。一般人に情報発信の権利はない」的な意識をチラチラ見せるんですよね。
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この辺り私には不可解なのだが、言論で盛り上がるにも、何故特に何も言ってない(或いは単にそう言えるだけ)の話題が特に注目を集めるのか。 これだってせめて、どういった問題(や政治)なら、全員考えるべきものになるか、一部の人に絞るべきものになるか位は深掘りした話題に変えればいいのにね。
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偶々此方のタルスキなツイートを見かけたけど、こうした話は(好意的にみても)質問に回答する為の下準備になるだろうから、ここで質問に回答した扱いにするのは不適切ではないか(マシュマロだと質問に文章で反応したら回答扱いにされる様だけど)。 またこの場合その下準備すら不必要と言えないか。
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またなんでもないさんはニーチェ(の星の友情)にも言及されてるが、(例えばツァラトゥストラ辺りは特に顕著だが)彼は哲学的な思索(における筋道)や、そこで探求されてる真理観がどういうものになるのかについての洞察に優れているから、こうした話にも繋げられる。 ニーチェは初発で通過してはな
この「他人の哲学は一旦関係なしに、己の哲学的主張の必然性のみを整備しておく」という態度について、自分はニーチェの言う「星の友情」をその様に解釈している。我々は目的も航路も違う2艘の舟なのであり、友としてであれ敵としてであれ、互いに「一層敬意を払う存在」になるために疎遠にならなくて
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らない地点を意識した議論を行うので、たとえその議論の内容に関して手痛い評価を受けたとしても、そこで問題にされた地点が蔑ろにされることにはなり得ない。その点でニーチェは全く哲学的だ。 しかし一方で洞察ありきで解釈するから、議論の内容の詰め方として哲学的に稚拙過ぎる一面もあると思う。
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有り難うございます。仰る通り、哲学の議論はそれ自体が辿れなければ、(その議論が如何程かという話以前に)そもそも意味がない(し、そこを蔑ろにしたら哲学自体成立しない)と思います。 仮に過去の哲学者を参照する場合でも、そこを如何に損ねないかは(哲学するなら)必ず考える必要があります。
この一連のポストは非常に重要なことを仰っているように思われます。一言で要約すると、そもそも哲学の議論はそれを誰が言っているかなどとは関係なく、それ自体として為されうるのでなければ意味がない、ということだと思います。しかし、これは意外に厳しい要求ですね。
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ここでなんでもないさんがおっしゃっていることが、哲学的に探求し、それを議論として体系化するための一丁目一番地になるだろう。 そこ抜きに何を考えていようと、それが(思考してる本人にすら!)どこまで解析してるものになり得ているのか分かるはずがないのだから。最低ラインといってもいいね。
ここで言われている「永井氏とは一旦何の関係もなく」、「己の哲学の必然性だけを完全に辿れる様に」するということの重要性は、本当に仰る通りだと思う。議論は何らかの事柄を肯定・否定する以前に、その議論(と見做されているもの)自体の仕組みを検証できる可能性が無ければ話にならないだろう。
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私は、どういった価値観や結論であれ、そこに行き着くまでのプロセスがどれ程かという点に、特別拘りをもつ性分だ。なので折に触れてこの手の話を纏めておきたくなる。 別に哲学に限らず、世の中往々にして、幾つかの前提や議論をすっ飛ばして話が先に進むことがあるが、その度にやってられなくなる。
Replying to @manma2020
という手順を踏めばよかった筈だ。それならまだしも、哲学的議論にはなったと思われる。その上でなら、双方の議論が噛み合おうと噛み合わなかろうと、何故そうなったかについての(哲学的な)やり取りは成立する(相手が自身の哲学的見地から反応を返す余地が生じる)。
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僭越ながら、口を挟む様な引用RTをすると、私には純粋な哲学的議論が成立してる様には見えない。 相手の理論をどう見なす(評価する)かは自由になされればよいのだが、植村氏はご自身の着眼点から感じられた誤謬を直接相手(この場合は永井氏)の理論に読み込んでるので、(おそらく植村氏の考察の中
永井さんにブロックされるのはとても残念です。私が何か永井さんの人格を傷つけるような発言をしたならば別ですが、私は一貫して永井さんを優れた哲学者と認めればこその、純粋な哲学的議論をしてきたつもりです。
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せめて植村氏が考察される必然的な哲学的態度と、そこで(これもまた)必然的に含まれるとされる誤謬について自分の哲学として(永井氏とは一旦何の関係もなく)体系化し(己の哲学の必然性だけを完全に辿れる様にし)、それが済んだ後で、永井氏の哲学がそこにリンクする点があるか否かを検討する
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という手順を踏めばよかった筈だ。それならまだしも、哲学的議論にはなったと思われる。その上でなら、双方の議論が噛み合おうと噛み合わなかろうと、何故そうなったかについての(哲学的な)やり取りは成立する(相手が自身の哲学的見地から反応を返す余地が生じる)。
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此方のお話はおっしゃる通りで、かつ重要だと思う。 自らを成立させるそもそもの段階において、どこにどう引っ掛かったかを何処まで明確に出来るか、言い換えれば、何処まで(他ならぬ)自分がその引っ掛かりを取り違えない様に出来るかが肝心要。 何ならそれを哲学的思考力と(すら)呼んでもいい。
哲学の「才能」というものがあるとしたら、それは思考力とか記憶力とかではなく、「それは自分の問題なのか?」に関するセンスの有無ではないのか?
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