【新大阪11/21土】哲学道場例会「パーフィット(仮)」 twipla.jp/events/738321
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会場が変更されています。
1つの現象に対して2つの説明があったとき、①両方を統合した記述が正しい②一方が間違っており他方が正しい③どちらも間違っている、の3パターンがある。①の場合、2つの説明はそれぞれ別の観点からされたものである。このとき2つの観点は対等なものであるという前提だが、観点の優劣は判明するのか?
Aという選択をしたときに、非Aという選択をした世界が生まれるのか、元々Aと非A両方あったのがAに確定して非Aの方が消えるのか、どっちなんだろう?前者は選択の度に世界が増え続けるが、後者は無限にある状態から減り続ける。
【新大阪9/19土】哲学道場「記憶の持続と自由意志 -文にしたためた記憶の変化は記憶できるか?-」【第291回例会】 twipla.jp/events/738322
次の土曜日午後、新大阪駅付近での開催です。
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第288回例会「散歩」 (新大阪) - 哲学道場_PhilosophyDoJoProject
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こんな感じでした。
【7月18日(土)新大阪】哲学道場「散歩」【第288回例会】
twipla.jp/events/726454
明日午後からとなります。よろしくお願いいたします。
「待たされている」と言うと、早くその時が来てほしいのに時間の経過を必要とするから待たざるを得ないという風に思いがちだが、「人間は死を待つ存在である」という文脈だと来てほしくないのに避けられないことに徐々に接近させられているととれる。待ちたくない理由が違う。
強者はにとっては、ルールの制定より武力行使の方が手っ取り早いのではないかと思っていたが、武力行使は単発であるのに対してルールは一般化された持続的なものであるから、後者の方が長期的には労力が少ないのかもしれない。
「待つ」とは行為ではなく心の状態のような気がするのだが、そう考えると私たちは対象を「いつ」待っていることになるのか?それは客観的に判別可能なのか?待っている対象のことをずっと考え続けている訳ではない場合が多いし、待っていることに無自覚なこともあるはず。
「現実的に区別できないならそれはもう同じと言っていい」派と、「現実的に区別できるかどうかは同一性とは無関係」派がいるような気がする。私は後者で、論理的に区別できるなら別物だと思っている。例えばAさんとAさんによく似たクローンがいたとき、クローンと言っている時点で別物だと思う。



