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Joined December 2021
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無神論の怖いところは、それが何の不在を主張しているのかよくわからないところ
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何千枚は盛り過ぎ 7時間のデッサンを1000枚描く場合、1日一枚で2年9カ月かかる 2000枚なら5年6ヶ月な 多浪すぎる。
本来、デザイナーは美大生がなるべき職、もしくはそれと同レベルの人。 その美大生たちはデッサンをひたすら何百何千枚も入学前に描いて、さらにセンスや能力を選抜された人たちが美大生になっている。 なのに、ここ数年、素人が副業でパッとできますくらいに宣伝され、有象無象に発生してるから地獄
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自分でデザインをやってみると、世の中のあらゆるものがプロのデザイナーの洗練された仕事でできてるんだと気付かされる
デザイナーのAI生成に対する危機感は仕事を奪われる心配というより、 あのクオリティのものが世に出されてしまう腑に落ちなさのほうが苦しくないですか。 AI完全否定派ではないけど、デザイナーを通さないとデザインの現場でまずOKにならないものまで世に出てしまう。
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僕は美大に行ったけれど、今の時代、デザイナーになるために美大で学ばなければいけないとはまったく思わない。専門学校でもいいし、普通大学でもいい。独学だっていい。これからの時代はデザインの技術やソフトの使い方だけを考えれば、むしろ今は学校に行かなくても学べることがたくさんある。AIが出てきたことで、その傾向はこれからますます強くなっていくと思う。 それでも、僕は美大に行ったことには大きな価値があったと思っている。 そのひとつが、一見すると仕事には直接結びつかないような「遠回り」ができたことだ。 デザイナーという仕事は、デッサンがうまいとか、ソフトが使えるとか、仕事が速いとか、そういう実務的なスキルだけでできているわけではない。 もちろん、高いレベルでのクラフト力は必要だと思う。 でも、それ以上に大切なのは、 ものをどう見るのか。 何を美しいと思うのか。 社会をどう捉えるのか。 いま起きていることをどう解釈するのか。 そして、まだ存在していないものをどう想像するのか。 そういう、その人自身の「世界の見方」だと思う。 そして、その世界の見方をつくっているのは、デザインだけではない。グラフィック、プロダクト、建築、写真、映画、美術、音楽、文学、ファッション、都市、自然、科学、哲学、歴史、社会。 一見、自分の仕事とは関係がないように見えるものに興味を持ち、寄り道し、深く潜っていく。 そうやって多分野を行き来するうちに、それぞれの点が少しずつつながっていく。そして、そのつながり方そのものが、その人にしかない「視点」になっていく。 僕は、美大の価値は「デザイナーになる方法を教えてくれること」ではなく、そういう遠回りを許してくれる場所だったことなのかもしれないと思う。実際に僕は、デザインはそこそこに、アートや映画、写真、パフォーマンスなど他の分野にも深くのめりこんだ。変わったものが好きな友人たちや個性的な先生たちから多くのことを学んだ。 すぐに役に立つものだけを学んでいたら、たぶん身につかなかったものがたくさんある。 効率だけを考えれば、遠回りは無駄に見える。 でもクリエイティブの世界では、その無駄に見えた時間が、10年後、20年後にその人の大きな差になる。 だから僕は、これからのデザイン教育に必要なのは「デザイナーになるための最短距離」を教えることではなく、むしろたくさんの遠回りができる環境をつくることなんじゃないかと思っている。 特にAIによって「つくる技術」が急速に民主化されていくこれからの時代は、なおさらだ。 つくれること自体の希少性が下がれば下がるほど、 何を見るのか。 何を選ぶのか。 何を問いとして持つのか。 何と何をつなげるのか。 そして、どんな世界をつくりたいと思うのか。 その人がこれまで何を見て、何を考え、どんな遠回りをしてきたのかが、クリエイターとしての価値になっていく。 最短距離で身につく技術よりも、 遠回りの中でしか育たない視点がある。 僕にとって、美大で学んだ一番大きなことは、そういう美しくも無駄なものたちだったと思う。
本来、デザイナーは美大生がなるべき職、もしくはそれと同レベルの人。 その美大生たちはデッサンをひたすら何百何千枚も入学前に描いて、さらにセンスや能力を選抜された人たちが美大生になっている。 なのに、ここ数年、素人が副業でパッとできますくらいに宣伝され、有象無象に発生してるから地獄
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日本は生クリームいい感じなのになんで国産チーズは微妙なの多いんだろうな。国産乳製品が普及してるわりにチーズはいつまでたっても昭和のチーズのまま。
意外やなぁ 韓国はスイーツ先進国のイメージだった。 スイーツの種類によって得手不得手がある感じなのか…
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「狂気の天才ゴッホ」みたいなプロモーションも害悪だと思ってんだよな。彼が現代の精神医学からみて統合失調症だった可能性はたぶん低いし、絵の質を支えてるのもアカデミックな勉強家の部分だ。耳を切ったり自⚪︎した結末なんて、彼がオールドマスターに向けた情熱に比べたらかなりどうでもいいこと
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Twitterのタイムラインで、日本人に正しい教えをみたいな外国人が大量に沸いてるの、あれは布教や勧誘ではなくただただ日本人を見下してバカにしたいだけだったってことなのかしら。
日本人ってなんでキリスト教が自分を勧誘してくれると思ってんの カトリックは自分からずっと教会通わないと洗礼受けさせてもらえないよ 誰も勧誘なんかしてくれないから
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デザインはそもそも、産業革命後に「粗悪な大量生産品の見た目や使い勝手を良くする」目的で成立した概念だ。 コストを抑えたいけど、機能的で見た目も良くしたい。 そんな経営者の期待に答えるのがデザイン。 語源はラテン語の「計画」だが、のちにイタリア語やフランス語で「素描・デッサン」の言葉として使われ、その後、今の形になった。 そもそも、素描やデッサンは絵画を描くための下準備。 つまり、デザインには本来「描きながら構想を練る」という意味が宿っている。 当時の工場製品は、実用性はあっても不恰好で使いにくい粗悪品が多かった。 そこで「コストを抑えつつ、見栄えも良いもの」が求められ、イギリスやドイツなどでデザイン学校が設立された。 その代表例がバウハウスだ。 アートを産業に応用するためカンディンスキーやクレーなどの画家たちが教鞭を執り、デザインを学問として体系化していった。 つまりデザインは、美術で培われた造形や構想の知見を応用して発展した。 だからこそ「美大でデザインを学ぶ」というのは、歴史的にも理にかなっている。
本来、デザイナーは美大生がなるべき職、もしくはそれと同レベルの人。 その美大生たちはデッサンをひたすら何百何千枚も入学前に描いて、さらにセンスや能力を選抜された人たちが美大生になっている。 なのに、ここ数年、素人が副業でパッとできますくらいに宣伝され、有象無象に発生してるから地獄
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如果你认真读过巴菲特和芒格的人生,就会发现,他们其实很少拿智商和学历说事。 两个人反复强调的,反而是一个很简单的道理:投资这件事,性格比聪明重要得多。 知识不懂可以学,方法不会可以练,但耐心、自律,还有面对涨跌时控制贪婪和恐惧的能力,看书永远学不会。 说白了,投资最难的从来不是你懂多少,而是你能不能管住自己。
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デザイナーは美大生がなるべき職業かという議論を見かけて思ったけど、少し話題は逸れるが美大生側にも当然職業選択の自由はあるので、むしろ我々元美大生はデザイナー以外の道に進んだ美大卒をどんどん世間に紹介していきたい。ゲストハウス、うどん店、味噌汁店、ブタカフェ、タトゥーアーティスト、GMOグループ営業etc
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“ちひろさん”ののこのこ(弁当屋)の面接や…実在するのか…
これ、考えすぎかもしれんけど「和菓子面接」だった可能性あるんよ。お菓子渡して待たされているときの所作を見ていた可能性がある。むかし社長秘書のお姉さんに聞いたんだけど、学生向けの1日がかりの採用イベントで、お弁当の受け取り方とか食べ方とか見て、態度悪い子報告してるってゆってた。
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そもそも彼はおすすめの本すら読んでいるか怪しいんだよね。たとえば生物とか数学の英語の本とかも昔勧めていて怪しいと思っていた。
わたしの知る限り、読書猿氏は今に至るまで引用と整理しかしてこなかったわけで、そういうのはいまのAIだと相当うまくやれてしまう。だからこそスムーズにつながったのだろうと。 (※もし読書猿氏が引用と整理以外でなにかした実績があるなら知りたい)
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未だに受け入れてないです 公園禁止が言われ始めた頃に小学生でしたが、だいぶ文句言ったし無視して何度も遊んてました その度に近所の老人に通報され親が呼び出され…となると親や教師からも何度も説教され、いつの間にか老人は公園で出待ちするようになり、行って怒られるだけの場所になりました
さっきふと思ったんだけど、なんで公園の利用が禁止になったのは素直に受け入れて、SNSが禁止になろうとしたら激しく暴れるの? んで、なんで今も禁止されているからって公園で遊ぼうとしないの? 自分が子供だったとしても、知らねーよとか言って普通に遊ぼうとするけどなぁ
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我慢の限界
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ワイ専門卒(しかも働きながらの夜間)だから過去に芸大卒とか美大卒とか4大卒とかに笑いながら冗談混じりで見下されたことがあったんだけど、毎回「なんでワイと同じ会社におるん?🥺」て聞いたら3人中3人とも顔赤くして怒ってた。怖かったゆ🥺
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風景画は孤独を肯定・助長するので社会にとって有害で不健全で規制されるべきだ という冗談をよく考えていたけど、少なくとも自分にとっては、本当に有害だったかもしれない
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ひでぇガキ
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経典の宣言的知識の正当化のための認識論をスコラ学が発展させ、教育課程にも含まれたので近世までの議論はこの枠内においてされて、カントも当然この延長線上にあるのだが、カント学派の経験論と合理論の歴史認識が勝ち、スコラ学的文脈が消え、カントの哲学史的な相対化が不十分になってる感じね
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