この紀子の1コマ、色々解釈があり興味深く読んでるが、わしは一貫して「時の流れによって生き方が分かれたことを噛みしめる顔」だと思ってる。戦後焼跡期にともに底辺の暮らしをした紀子は、暴れて権威を食い散らかそうとするジョーの生き方の必然を深く理解し惹かれてもいた。それが前提にあるのよ。
ちばてつや先生逝去のニュースで、再評価の熱量が上がっていると思います。
「あしたのジョー」での紀子ちゃんのキャラの描き方はあの当時でも珍しいくらい女性目線を理解していたと思う。
マンモス西との結婚式でのこの表情。
完全に女性の感情を理解している。
あんまり幸せそうに見えないでしょう?実はそうではない。
一緒に居たい男と笑顔にしてくれる男は違うということです…要するにオマエじゃ私を幸せにしてくれないという感情が混じっている。
いつまでもガキがという感情も入っている。
オマエが燃え尽きた後に、私はどう生きればいい?という心情。
だから泣いていない。
一回、涙を描いたけど消した。
少年マンガなのに、女性の感情に対する解像度が凄い。
梶原一騎原作だけでは無理で、ちばてつや先生だから出来たシーンだと思う。
出崎統監督も、そこを理解しているのでアニメ版でもこういう顔になる。
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ちょっとギスギスした流れになっているので、隙をみて #全銀河眼鏡っ娘選手権 を開催。まずは「パイナップルみたい」(竹本泉 : 作 / 講談社(当時))の主人公娘、山崎かおり(きゃおり)。眼鏡を外しても突然美人でもなく、胸も薄く、特にオシャレでもなく、普通の女の子。だがそれがイイのだよ😃
長介 retweeted
『のたり松太郎』なんかでもそうだったけど 勝ち負けや成功挫折の大イベントの合間合間にあるなんでもない時間 ちばてつや漫画はそこを大事にしていたように思う おもしろうてやがて悲しき 祭の後の横顔のわびしさ
松井のここ一番の集中力は特別なものだったよね。打席に入りながら、状況計算を精密にやってるのがわかる感じだった。センター前を意識した軽打も早いカウントの一発狙いも状況に応じて使い分けて、フォアボールでつなぐことも意識してた。クラッチヒッターのお手本。あれは特別な能力だったよ。
























