昨日、俊カフェにて行われた「『バースデーイヴ』とカニエ・ナハ──私家版詩集(オルタナティヴ)の可能性」へご来場くださった皆様、ありがとうございました。また、同時に思わぬ数の方々が生配信およびアーカイヴ配信をご覧くださり、企画者の1人として大変うれしく思います。
この企画のために尽力してくださった故永しほるさん(@OOE_Naka)、文学フリマ大阪を翌日に控えたお忙しいタイミングに札幌まできてくださったゲストのカニエ・ナハさん(@naha_kanie)、会場を提供して下さった俊カフェさん、映像配信スタッフ・会場スタッフの皆さん、そしてトークの準備で満身創痍な故永さんと私を事務的にサポートしてくださった中筋智絵さんに、あらためて感謝です。
今回のイヴェントの映像は、アーカイヴとして引き続き公開します。なお、書き起こしも編集の上で公開予定。このイヴェントのために準備した配布資料も概要欄からダウンロードできます。
資料は、故永しほる『バースデーイヴ』から1篇の詩、カニエさんのエッセー(抜粋)、自由詩めく短歌連作を収録した「本と栞のあいだ」、カニエさん単独で出された20作の詩集+故永さんの3つの詩集のリストである「カニエ・ナハと故永しほるの〈余白〉」の2点を用意。特にリストはトークで少ししか触れられませんでしたが、カニエさん曰くこれだけで5時間くらいは語れる(?!)内容になっています。
なお、トークでは明示的に言及できませんでしたが、局所にて発行された超小部数詩集、通称「鎌倉ボックス」だけは我々がどうしても手に入れられなかったために空欄になっています。
イヴェントでは、東中野「詩をはじめる本屋 蒼枯」(@soukobooks )で行われた、「カニエ・ナハworks 2010-2026『協奏と間奏』でも展示された、暁方ミセイ(金井万理恵)さんの『ウイルスちゃん』と故永さんの第2詩集『壁、窓、鏡』の類似と差異(一般書籍と私家版の差異)、そして会場に因んでカニエさんが『ユリイカ』に書いた谷川俊太郎さんの全詩集解題、そして今回会場に展開されたカニエさんの全20冊の詩集、『バースデーイヴ』と『Birthday Rehearsal』の話など、様々に及んだ。
今回展示したカニエさんの詩集のほとんどをコレクションしている故永さんのカニエさんに対する並々ならぬ関心が溢れ出てくるトークで、故永さんのカニエさんとの出会いの話にも胸が熱くなりました。
この連続イヴェントは、11月28日、山本浩貴さん(いぬのせなか座)をお招きする第3回に続きます。次回は東京・コ本や(@honkbooks )配信を行いますので、会場に行くことが叶わない方にもぜひ見ていただればと思います。またあらためて告知します。
【概要欄に資料あり】『バースデーイヴ』とカニエ・ナハ——私家版詩集(オルタナティブ)の可能性 youtube.com/live/2SUcGvGrToY… @YouTubeより
#BDE0912 #BDE1128
今夜の最終便の飛行機で、羽田から新千歳へ向かう。この時間の空港は、思えば初めてで、思っていたよりもひっそりとしている様子に驚いた。
私はこれから明日の最終準備として、故永さんと打合せして決めた配布資料のデザインをする。きっとそのあいだに、先についているカニエさんと故永さんが札幌で打合せをすることになるだろう。
唐突だけれども、いぬのせなか座の山本浩貴さんが、繰り返し「宛先」について考えていることを思う。今回のイヴェントは、札幌という地において話すという意味では現地の方々にむけられたものであるのだけれども、同時に距離的に──アーカイヴ配信という意味では時間的にも──隔たられた相手に向かっても、話すことになる。2人とは、この「宛先」の話もできたらいいな。
山腰亮介 retweeted
亜亜工業新刊、印刷あがってきました。これからカバー(正確には巨大な帯)をかけます。11/8文学フリマ東京で発売。予約の方にはその前にお届けできそうです。
亜亜工業 ぼんやりした考えの受け止めと着地 tolta.stores.jp/items/6ac701…
ほとんど予約が入らないのでもう誰もメールマガジンとか読んでないんだろうな…と思っていたら長年の常連さんが予約をいれてくださいました。ありがとうございます。
山腰亮介 retweeted
これに関しては良いことだと思うんだけど、なんだろうな、読書自体がほんとに一人のものなのか?ということは思う。逆におれがいろいろ言うことで誰かの頭に残ることはあるわけだし。それ言い出したら何もできなくなるからやるんだけど、こうしてたまにこれは言わないぞもやはり大事だなと考える。
山腰亮介 retweeted
「一千行の詩だろうが、五行の詩だろうが、パンチっていうか、直撃力がなきゃどうしようもないと思うんだね」
「べつにライト・バースでもいいんですよ、直撃力があれば。それのあるなしが一つの見かただと思うね」
(北村太郎、座談会「詩にとって現実とは何か?」『現代詩手帖』1977年10月号)
山腰亮介 retweeted
……藤田和日郎に「言いたかったことはこれなんだってね。それになりたいと思ったんです」と言わしめた、この「詩は直撃力」というフレーズが、どんな水源を持つのか、見つけられないまま。ともあれ、「どうしてもラジカルでなきゃいけない」、そして「受け取る人がいるか、いないかということです」。
故永さんの提示された、「現代詩の読者を育む」という視点は大切だと思います。もちろん、私自身も現代詩の読者であり、日々、故永さんをはじめとした、他者との対話の中で育まれてもいるわけですが。
故永さんや山本浩貴さんと行う予定のトーク・イヴェント「『バースデーイヴ』と〈アトリエ〉──日記的制作、または作者と読者の「新たな距離」」でテーマとなる、山本浩貴さんの〈アトリエ〉という概念は、作者が同時に読者であるということが重要ですね。
(〈アトリエ〉の定義や本イヴェントにおける故永さんと私の問題設定は添付のDMをご参照していただければ幸いです。)
故永さんの問題提起に戻ると、私は現代詩は参入のハードルが高いという比較的共有された危機認識がある気がします。たとえば、『ドキュメンタリー詩誌 詩あ』の特集が、「 詩を投稿しよう」(02)、「詩集をつくろう」(03)という呼びかけとなって、読者とともに、詩を書くこと、詩集をつくることの入口を捉え直そうとされていることは、故永さんの問題提起とそのまま連続して考えられます。
私が気になるのは、現代詩には議論的な蓄積があるものの、そこにアクセスしづらい、という問題があることです。たとえば、「自由詩」「散文詩」「叙情詩」「叙事詩」といった基本といえる概念すらも、共通のものとして語れない気がしています。
別の言い方をすると、蓄積の開示がうまくいっていないのではないか。これは、現代詩ウォッチの壹岐悠太郎さんが、アーカイヴの問題をたびたび口にされていることとも関わってくると思います。これは、あえていうと一般的な読者に対して、研究や現代詩の評論の蓄積を架橋することがうまくいってない、というのが一因としてあるように思います。この問題は、研究者でもある私自身に対しても、突きつけなければならない問題でもあるのですが。
*一部修正の上、再ポストしました。
さかのぼって9/24木の授業「第2回 詩と散歩・植物」には仙台の詩人そしてコレクティブ「四月の空地」でご一緒してる一方井亜稀さんがゲストとして参加してくださいました!歩行詩の傑作と私が見ている自作詩を朗読してくれて、学生からの質問にも丁寧に応答しつつ詩作について語ってくださいました!
ご返信ありがとうございます。Todaさんがおっしゃるような主張をされているとは思っておりません。「励まし導く大人」としては、どんな場所でも可能な限り、自分の視点を読者に対して提示しておきたい、というのが私の立場です。ZINEの隆盛を考えると、このあたりの話は、繊細に考えたほうが良いと私は考えます。
私は、今回の「論争」の渦中において、性急な答えを出すのではなく、生産的に、自分が伝えたいということを正確に語ることが必要だと思っています。
もちろん、Xの限られた文字数の中でそれを書くのは難しいのですが(こちらは課金しており制限がない中で恐縮ですが)、きちんと書いておきたいと思い、応答させていただきました。
Replying to @328_YAM
概ねお話には賛同です、わたしが詩集で上製本を作ることを薦めているような誤解はしないでください。過去にはホチキスもガリ版もやり、刊行はソフトカバーないしペーパーバックのみで、それは身の丈ということもあります。当方も文学資料館に籍を置く身で、藁半紙一枚だろうと大切に扱っています。
「残す」という観点が大事、というのはよくわかります。ただ、私は作品の物質的側面が大切だと思っていますが、たとえ葉書のように、誰か一人だけに宛てた脆弱なものだったとしても、残るときは残り、「ホチキスとかお手製」のものも、アーカイヴ資料として残っていたりもするので、形体の強度を絶対視はできないと考えています。
私が詩人・美術批評家の瀧口修造のものをはじめとしたアーカイヴに少しだけ携わる中で感じることは、どのように残すのか、は、いろんな方法があり得る、ということです。物体的な強度を高めたり、金銭的に価値のある素材を使う(極端には高価な貴金属や宝石を使う等)、あるいは、大量に作ることで残るものもあれば、脆弱であっても、そこに残す価値を見出されさえすれば、残ることもあります。瀧口が残したものには、いまは文学史・美術史などの歴史的な観点から大変重要だと認められているものであっても、当時はたいてい捨てられてしまったり散逸してしまうような、DMやフライヤー、ポスター、メモや写真等 が数多くあります。
瀧口が自身にとって重要だと思うものを残したことは──おそらく瀧口はそれが後世に残ることで重要だと判断して残したのだと思います──、瀧口の批評的行為だと私は捉えています。もちろん、瀧口の死後、それを保存しようと尽力した方々がいたからこそ、いま振り返ると重要だと言えるものが残っているのだということも、忘れてならないでしょう。
どんな本が残るかは、ケースバイケースではあると思いますが、一般論として申しあげれば、ソフトカヴァーより製本にお金のかかるハードカバーのほうが、保存性は高いですし、そのように手間をかけているものは大切にされやすい、というのはあると思います。
翻って、その観点だけになってしまうと、本の体裁がハードカヴァー一択になり、かえって表現の自由がないのでは?という疑問も出てきます。私は、「自由詩」とは、そんな不自由なもののことを呼んでいいのだろうかと日々思いながら、紙一葉の〈詩集〉を作っております。
来週はこちら、蒼枯にて。「眠れメロス、そして目覚めろ美術は詩。」梅津元さん(批評家/キュレーター)と戸塚愛美さん(キュレーター・週刊戸塚思想執筆)と。美術と詩と批評と思想と…を巡って。私は制作・編集・装幀した戸塚愛美著『愛と美に就いて』に就いて。私流の本作りに就いてお話しします!
トークイベントのご案内
10/30「眠れメロス、そして目覚めろ美術は詩」
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第一部:「『愛と美に就いて』に就いて」
2026年4月16日にリリースした戸塚愛美・著『愛と美に就いて』。週刊戸塚思想に寄稿したおよそ二年、100号分のテキストから珠玉の一文を抜き出し構成、まとめた一冊。・・・を反省します。
登壇:カニエ・ナハ(詩人)、戸塚愛美(キュレーター・週刊戸塚思想執筆)
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第二部:展評・非言語的出現条件ーフィードバック、「ロックで眠れ」と考える詩と詩と美術と詩と美術
登壇:梅津元(批評家/キュレーター)、戸塚愛美
聞き手:カニエ・ナハ
『現代詩手帖』2026年10月号掲載の展評を起点に、現代美術を専門とするキュレーターが、美術と詩の関係を探り、現状と展望を語ります。
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日時:
26年10月30日(金)19時〜21時30分
参加費:1000円(当日のお支払い)
定員:20名(要予約)
申し込み:i下記のGoogleフォームより事前申し込み[forms.gle/zvJ6Fdd5nxG62fsR7]
山腰亮介 retweeted
次にがっつり詩集をつくるときは出版社から出せたらいいなと思っている、というようなことをすこしまえに話しましたが、自費出版は無いな、というのが最新の感情です じゃあどうしてやろうかというのが最新の課題です どうしよー
山腰亮介 retweeted
同時に、様々な方がその人なりのやり方で、詩を読む喜びを広めていくことで変化する状況があるのではないかと考えている(楽観的すぎるのかもしれない)。
「Triptych」を手売りしながら冗談めかして「本屋さんの詩歌売り場って行ったことありますか」と訊ねると、大体の人は「ないですね」と答える。
山腰亮介 retweeted
エッセイも収録されているので、文学フリマではあえてノンフィクションブースに出店したり、ZINEが中心の即売会で頒布したりしている。
批評が大切なことは重々承知しているけれど自分にはまだまだ勉強が足りない。かなり草の根運動的だけど、今の自分にできることをできる限りやっているという感じ。
山腰亮介 retweeted
まず、YouTubeとPodcastで詩を読む楽しさや味わい方をサンプル的に提示する「シカラジ」がそう。
また、最近は個人誌『縷々』「Triptych」という作品を発表した。これは「お品書き」から気になった作品を選ぶという体験の面白さを入口に、現代詩のレビューと詩作品に触れてもらうことを狙った作品。





















