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IMAXもののけ姫の感想をツイートしようとしたら、とても140字に収まらず、noteに書いてみたら12000字くらいになりました。
さすがに頑張ったから、もののけ姫好きな人には読んでほしい。 note.com/ystdnn/n/n6060d0750…
プロ選手からの「見ないでください」って発信は重いし、こういう時代だからこそ大切かもしれない
ネットはもう当たり前の世界なんだから、オンラインでもオフラインでも、コミュニケーションのルールやモラルは変わらないって認識を育てていかなきゃ
ドストエフスキーに関するフェミニズムからの批判ってほとんど「ソーニャ」のイメージから来てる気がする。
ソーニャの“聖女”的な役割は後続の作品で男キャラに譲られ、女性に救済者を押し付けてる訳ではなく、男尊女卑、家父長制のフィールドで搾取される女性のグロテスクにスポットを当ててきた(ソ
同性として看過できないポストです。
心を守るためにインプットの取捨選択をすることは悪ではない。しかしそうやって「自分の精神やリソースをうまく防衛し、配分しつつサステナブルにやってく」のは「趣味」であって、文学部で取り組むべき「学問」ではない。
ナボコフもドストエフスキーもアリストテレスも読まれて「時間を無駄にした」は有り得ない、むらくも氏はその経験から「古典は男性権威に偏った世界だ」という個人的な見解を確かに獲得してるじゃないですか。得られる知見が自分にとってポジティブなものでなければ価値を認めないという態度は、文学という芸術の本質から最も遠いところにある独善ですよ。
そして、そうした差別的な(敢えてそう表現しておくが)文学で傷付くかもしれない未来の女性に伝えるべきは、何故そんなものが書かれたのかという当時の社会を学ぶこと、そこから何を見出し現社会に反映させていくか共に考えることではないのか。
「読まなくて良い」等と具体的な歴史には触れさせず、表現を客観的に俯瞰する力を女性に付けさせない。その上で煽情的にフェミニズムへと誘導するのは、情報弱者を信者に取り込むカルトと同じ全くもって卑怯なやり方だ。
さらに男性が書けばミソジニー、女性が書けばフィロジニーというような表現も引っ掛かる。これに関しては「女性による著作にはミソジニーがゼロだとか言ってるわけじゃない」と補足はされているけども、一方で男性が培ってきた文学は不快なので唾棄して良いとでも言うような、男女の二項対立で芸術を語る論調には私は賛同できない。
そもそも、これから自分の意思で本を選び出す小学生くらいの少女を、古典に潜むミソジニーに免疫のない「真っさら状態」と形容するなら分かるけども、これを「文学部女子」に呼び掛けると言うのは進学を選んだ女性たちを馬鹿にしているのか。彼女たちはそんなこと百も承知の上で、その先に己は文学から何を見出せるのかを探求したくて文学部にいるんじゃないのか。
自身の怒りを世界の普遍的道徳とすり替え、個人的な快/不快の基準で過去を断罪しようとする態度を「女の学問」と豪語するのがフェミニズムなら、私は女性であることから降りたい。
自身の前提を顧みるのではなく理論武装するためだけの読書に、過去を憎み現在の異性を非難するための学びに、何の意味があるんですかね。
「デニムとキャリアは土が着くほど色気が出る。今度は僕が敬意を込めて汚します。」
自分ゴーストライターやります。やらせてください。
Replying to @mako_burns
「堤選手が真の王者、自分は挑戦者」
「リベンジしたい」
「堤選手は風格を感じる」
この程度で良かったんじゃないかねえ🤔
やっぱ帝拳さんはコピーライターかなんかつけるべきよ






























