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突然呟き始めましたが単なる会社員です。2017年に「二軍史 もう一つのプロ野球」という書籍を出版しています。
その後も調査を続け、1961年以降のプロ野球二軍個人成績のデータベースが完成したので、いつか記録集として世に出したいです。出版社の方、いかがでしょうか?
二軍通算50勝以上は13人いる。40勝以上まで広げると40人になる
近年は二軍戦の勝敗があまり重視されなくなりつつあるが、かつては二軍でも勝利へのこだわりが強かった。
昔の投手たちは短期間でかなりの勝利数を積み上げた例が少なくない。
二軍記録集の投手記録を作成中。打者に比べて項目数が多く、レイアウトが難しい。
ページ内に収めるために「補回試合」「セーブポイント」はカット。二軍に「ホールド」の記録はない
NPBのサイトでは分からない「当初」や「完了」の2026年シーズンの記録はベースボール・レコード・ブックの発売待ち
2軍名球会面白かったです。
通算500安打以上は今シーズン終了時点で141人います。
今回は「もし2軍名球会があったら」というテーマでお話ししました!名球会の2軍版がもしあったとしたら、2軍でどんな成績を残した選手が入れるのかについて考えています!笑
興味のある方はご視聴ください!
#北海道日本ハムファイターズ
#東京ヤクルトスワローズ
#プロ野球
youtu.be/9HsQU8TrNlk
巨人が育成ドラフトで指名した関蓮太郎捕手は2011年12月26日生まれ。15歳で1年目のシーズンを過ごすことになる。
過去、1968年に近鉄に入団した近藤義之投手が1953年1月1日生まれで15歳で1年目シーズンを過ごした。近藤投手は5年間で一軍出場なし、二軍戦は3試合の出場だった(2試合は偵察メンバー)
二軍の個人成績に加え、1953~1954年の関西ファームリーグ、1954~1955年の新日本リーグ、1955年のイースタン・リーグ、そして1955~1960年のウエスタン・リーグの試合結果についても全貌は世に出ていないはずなので、記録集的な形で残しておきたい。
お届けできるのは12 月上旬くらいです。
1955年から2026年までの年度別二軍個人打撃成績を収録。1955年から1960年の間は分かる範囲のため、全部ではありません。また、投手成績は未収録です。
なお、データによる提供と公開は予定していません
1989年3月。西武は伊東勤選手をはじめ捕手4人が負傷により戦線離脱。特例で奥宮コーチの教育リーグ出場を認めてもらうとともに、急造で外野手の上中吉成選手を捕手にコンバートさせた
さっそく3月10日の教育リーグの試合でマスクを被る。5盗塁を許すが対戦相手のヤクルトからも同情されていた模様
830ページ相当分を出版するのは相当ハードルが高いと思うため、一冊から印刷と製本化してくれる先を見つけて、1955年から2026年までの二軍年度別打撃成績の記録集を個人制作した
今の時点で世界に一冊だけの二軍記録集。1961年以降については、二軍戦に出場した全選手の個人成績を網羅
1973年9月11日。近鉄がウエスタン・リーグ優勝を決める。近鉄の二軍創設は1953年。関西ファームリーグ時代を含めて、21年目にして初めての優勝
1973年は9月以降、この試合を含めて7試合が奈良市営球場で開催されている
1952年10月15日。日本初の二軍専門球団・山陽クラウンズが解散。あさってで解散から丸74年の歳月が経つ。
書籍を出版後にわずかではあるが新たに判明した事実もあるので、いつの日か世に出したい。どこかからまとまった試合の記録が発掘されないかと、いつも夢見ている
1966年5月9日、ウエスタン・リーグトーナメント大会の決勝戦。近鉄の鈴木啓示投手が8回表無死一、三塁の場面で救援登板。中日打線を無得点に抑え、9回も無得点に封じて近鉄が優勝した
鈴木投手は前日の準決勝で完封勝利を記録しており大会MVPを獲得。この試合が生涯最後の二軍戦の登板だった


















