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思えば昔あんだけ聴いてた『ERA』も今ほとんど聴いてないな。「ショートホープ」とか「ゲルニカ」とか、博愛主義だった中村一義から優しさみたいなのが無くなった感じがしてどうも聴けない
「それ、おもろいですね」の一言の方が、よっぽど返事もらえるで。
もらえねーよ
もらえたら毎日そればっかやるわ
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これまで討論に参加してきて、
話し合いがふっと止まる瞬間があると感じてきました。
たとえば、「傷ついた人のことを考えたことがあるのか」という趣旨の言葉が出たときです。
見過ごされてきた痛みを、議論の真ん中に置き直すために、そう問うことが必要な場面はあります。
でも、そのあと相手は、「私もその痛みを考えました。そのうえで、別の方法が必要だと思います」と言えるでしょうか。
そして、その返事は議論に入っていけるでしょうか。
異論を言うこと自体が「痛みをわかっていない証拠」にされると、答える道がふさがれます。
むしろ良心的に考えようとする人ほど、
「私に見えていない痛みがあったのかもしれない」と、まず自分のほうを疑う。
言い返せば、傷ついた人のことを軽く見ているように聞こえるかもしれない。
そうして、心の中では「はい、私が悪うございました」と引き下がる。
そこで静かになったとしても、その人が何を考えていたかは、誰にも聞かれないままです。
最近、「モラル・グランドスタンディング」という概念を知りました。
道徳的な発言を通じて、周囲から尊敬を得たり、自分の立場を高めたりしようとすることです。
発言した人の動機は、外からはわかりません。
ただ、私が経験した討論を振り返ると、
目の前の相手に語りかけているはずの言葉が、
周囲に「私は傷ついた人の側に立っています」と示すほうに傾いているように感じたことがあります。
そのとき、相手は一緒に考える人から、良心を採点される人になってしまいます。
私は、リベラル左派の活動や議論のなかで、
こうしたやり取りを見てきました。
平等や民主主義を大切にすると言いながら、
目の前の相手には、自分を問い返す余地を渡さない。
そこに、掲げる理念と実際の振る舞いの矛盾があると感じます。
そして、これが私たちの輪が広がらない理由の一つではないかと思うのです。
理念に共感する人でも、意見が違うたびに良心を疑われるような場なら、次は発言を控えるかもしれない。
その次は、もう来ないかもしれない。
表立った反論がないと、残った側には「みんな納得した」と見えてしまいます。
私にも、差別を許さないという譲れない原則があります。
その原則を持ったまま、「何が起きたのか」「どうすれば被害を減らせるのか」は、意見の違う人とも考えられるはずです。
私自身が「傷ついた人のことを考えてほしい」と言ったあと、
相手の返事を待てるだろうか。
その返事を受けて、自分の提案を考え直すことができるだろうか。
討論の場で、そこを自分にも問い続けたいと思います。
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何度でも何度でも言っておく。
日本は『差別大国』。ヨソの国と比べてマシなんて事は絶対にない。そして、その差別は自分達が『優位に立てると思い込んでいる』存在に向けられる。陰湿さにおいては『世界有数』だ。
















