患者さんや利用者さんに暴力を振るわれて傷やアザを作る職員は少なくない。
会社や管理者って『大丈夫?』だけで済ませることが多いけど、これって大問題だよね🧐
その利用者や患者の責任もそうだけど、会社や管理者の管理問題も問われる。
もっと医療・介護職員は訴えるべき。
「障害があっても、普通に恋愛がしたい」
この動画を見て、社会全体で考えてほしいことがある。
好きな人がほしい。
誰かを好きになりたい。
誰かに愛されたい。
一人の女性として見てほしい。
これって、そんなに特別な願いですか??
障害のある人が恋愛について語ると、
「現実はそんなに甘くない」
「難しいんじゃない?」
「まずは自分のことを考えた方がいい」
そんな言葉を向ける人がいる。
でも、ちょっと待ってほしい。
障害のない人が恋愛を望むのは当たり前で、障害のある人が望むと特別なことになるのは、なぜなんだろう。
もちろん、恋愛には相手の気持ちがある。
誰かを好きになったからといって、必ずその想いが叶うわけじゃない。
でも、それは障害の有無に関係なく、誰にとっても同じことですよね。
私たちの社会は、知らず知らずのうちに、障害のある人に対して「ここまでは望んでいい」「これは難しいから諦めた方がいい」と、勝手に人生の選択肢を狭めていないだろうか。
障害があることと、恋愛したい気持ちは別の話。
誰かを好きになることも、愛されたいと願うことも、その人自身の自由なんです。
障害のある人を特別扱いしないというのは、その人の願いや可能性を最初から否定しないことでもあると思う。
そして、何より伝えたい。
この女性が、自分の気持ちをこうして社会に向けて発信してくれたこと。
私は本当に素晴らしいと思います。
自分の本音を不特定多数の人に伝えるって、簡単なことじゃない。
心ない言葉を向けられる可能性だってある。
それでも、自分の言葉で、自分の願いを伝えている。
私は、彼女の勇気と、自分らしく生きたいという想いを心から応援したい。
彼女のように声を上げてくれる人がいるからこそ、今まで当たり前だと思っていた社会の価値観を見直すきっかけが生まれるんだと思います。
もし、あなたの大切な人が「障害があるから恋愛は諦めた方がいい」と言われたら、どう感じるだろうか。
私たちは、誰かの「幸せになりたい」という願いを、障害の有無だけで判断していないか。
皆さんは、この動画を見てどう感じましたか?
「最終的にはご家族で決めてください」
そんなこと分かってるんだよ。
病院か施設か、本人が嫌がったらどうするか。
正解が分からないから相談してるんじゃないの??
大切な人のこと、間違えたくない。
決めることより、その決断が正しかったのか、一生悩み続けることの方がつらいんだと思う。
高齢者や認知症を患っている人に安楽死を推奨してる人って、安楽死=『苦しまずに楽にできる自殺』って勘違いしてる人多いよね。
しかもその安楽死をする人は自分ではなく、他人にするように求める。
『社会や本人のために安楽死!』って言ってるけど、
私には『邪魔だから合法的に殺せ!』にしか聞こえない。
今の介護サービスは、社会保障下で行われるサブスクのようなもの。
このサービスはいらない、このサービスはいるということが利用者にはできない。
それが利用者の不満を生み、さらに介護職員の首を絞めている。
ほんと、本末転倒🧐
このポスターを見て、強い違和感を覚えた。
まるで高齢者が若者にとっての重荷であるかのような構図。
そして何より、高校生がこのような風刺画を描くほど(高校生が描いていたら)、今の日本には「高齢者は若者の負担」という価値観が広がっているのだろうかと考えさせられた。
高齢化による社会保障や財政の問題は確かにある。
でも、問題なのは社会の仕組みであって、高齢者という存在そのものではないはず。
高齢者はこれまで社会を支えてきた人たちであり、今も一人ひとりが尊厳を持って生きている。
介護が必要になったら、人は社会の重荷になるのだろうか。
もし若い世代がそんなふうに感じる社会になっているのなら、私たちが本当に考えるべきなのは、そこではないだろうか。
誰もがいずれ歳を重ねる。
世代間の対立ではなく、誰もが安心して歳を重ねられる社会であってほしい。
皆さんは、このポスターを見てどう感じますか?
まさかこんなに高齢者批判やヘイトが集まるポストになってしまうとはとても残念。
皆、自分が必ずたどり着く場所。
感情的にならずに建設的に考えていきたい。
誰もが安心して老える、老いてもいいという文化や社会にしたい。
もしこのポスターをみて、
『そうだ、高齢者は重荷だ。』
と思う方々は、ぜひ自分が高齢者になったらどうするか、どうしたいかを教えてほしい。
たぶん、そこまで意見や信念を持って高齢者批判やヘイトをしている人達はいないと思うが😅
認知症の人を見ていて一番つらいのは、まだ自分の置かれた状況を理解できている人。
周りとは会話も噛み合わず、自分が少しずつ変わっていくこともわかっている。
それでも周囲からは同じ「認知症の人」として扱われる。
あの孤独と絶望って、想像するだけでも苦しくなる。
介護職の賃上げに「看護師より給料高くなるのはおかしい」とか言う人がいるけど、
いや、別によくない??
介護職の給料が上がるなら、看護師も「じゃあ私たちも上げてよ」って言えばいい。
他職種の賃上げに文句言って誰が得するの??
お互い足引っ張らず、みんなで給料上げていこうよ。
利用者さんに手を挙げてしまう介護職。
もちろん、暴力は絶対に許されない。
でも、「手を挙げるなんて介護職失格だ!」と、その職員だけを責めて終わりにしていいのだろうか。
何度も同じことを聞かれる。
介助を拒否される。
暴言を吐かれる。時には叩かれる。
それでも笑顔で、優しく、丁寧に対応することを求められる。
人手が足りなくても、業務が終わらなくても、感情を表に出すことすら許されない。
そんな毎日を繰り返すうちに、心の余裕がなくなってしまう人もいると思う。
もちろん、だからといって暴力が許されるわけじゃない。
でも、暴力を振るった職員を辞めさせるだけで、同じことが起きない職場になるの??
私はそこが疑問なんです。
限界を感じた時に「もう無理です」と言える環境があるのか。
困難な対応を一人で抱え込ませていないか。
職員が追い詰められているサインを、管理者は見逃していなかったか。
虐待を防ぐために必要なのは、職員の倫理観だけじゃない。
利用者さんを守るためには、介護職が安心して助けを求められる職場も必要なんです。
暴力を正当化するつもりは一切ない。
だからこそ、起きてしまった暴力を個人の問題だけで終わらせず、その背景まで考えなければいけないと思う。
皆さんはどう思いますか?
人間ってそんなに頭良くないし、他の人や周りのことなんて考えることが出来ないから、ルールやシステムが必要。
ルールやシステムを守らない(守れない)人は残念ながら淘汰されないといけない。
それが社会を健全にしていく唯一の方法だと思うよ。
みんな、ルールやシステムは守ろうね。
日経新聞の調査によると、
・自分の介護はプロに任せたい:約7割
・おむつ交換はプロに任せたい:約8割
・親の介護で主な担い手にはならない:過半数
「介護は家族がするもの」という価値観が変わりつつある。
私は、これは決して悪いことではないと思う。
介護を専門職に任せることは、家族の役割を放棄することではない。
むしろ、介護の負担を減らすことで、家族が「介護する人とされる人」ではなく、「親と子」「夫婦」として向き合える時間が増えるかもしれない。
ただ、一つ大きな問題がある。
家族が介護を担わなくても安心して暮らせるだけのサービスと人材が、今の日本に十分あるのだろうか。
家族介護から専門職による介護へ。
価値観の変化に、介護の仕組みは追いついているのだろうか。
老後のおむつ交換は「プロに」8割 家族介護離れが鮮明に - 日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXZQOUD0…
人として尊重されながら最期を迎えられることって、決して当たり前じゃないと思う。
そこには、たくさんの人の努力や優しさがある。
その中でも、介護職の存在は絶対に欠かせない。
もっと社会は、介護という仕事の価値を知るべきだと思う。
「1秒でも長生きしてほしい。何かあれば救急車を呼んでください」
96歳の母を想う家族の言葉。
その気持ちは理解できる。
でも長く生きることと、穏やかに最期を迎えることは、時に両立が難しい。
大切なのは、家族の気持ちだけじゃなく、本人の思い。
看取りってそこを一緒に考えることが大切。
当たり前だけど、介護事業所のお客さんは職員。
存続に重要なのは、利用者集めよりも職員集め。
いい職員が定着すれば利用者は勝手に集まるけど、利用者が定着したからって職員は勝手には集まらない。
そのことをわかってる介護事業所がどれほどあるだろう?

