あの日の夏、ひんやりとしたシーツの中であなたと裸で抱き合った。あなたの手は震えていて、私はそれを見て安心したし愛おしいと思った。意外と睫毛が長いこととか、鼓動のリズムが心地よいこととか、近づいた時に知れることが嬉しくて、部屋を包む空気が街灯みたいにぼやけていて、
夏の匂いは記憶の匂いであると誰かが言っていた。夏は僕らが心の奥にしまっていた一つ一つの記憶とその旋律を呼び起こしてくれる。雨上がりのアスファルトの匂い。濡れた砂浜の感触。眠たげな風と共に鳴る風鈴。まばゆい陽光。神社で鳴くひぐらし。全てが夏であり、全てが美しく切ない記憶であった。
わたしは恋愛というものが分かりません。好きとは何か、なぜ人は付き合うのか、手を繋いだりするのはどんな感情なのか、検討もつきません。ですので、人の恋愛の話を聞くたびに、なんの話だろう?と思ったりします。そのため、その言葉から連想されるお寿司のことをいつもわたしは考えています。
頭の中に音楽が鳴り続けているときに、音楽を聴いてはならない。音楽を上書きしてはならない。まず頭の中の音楽を聴かなければならない。静寂が訪れて、空白になるまで、聴き続けなければならない。音は空気に溶けて、雲に紛れ込み、海へ沈む。そうしてその音はやがて大切な人に向かう。
さっき見た夢を説明しているときに、頭の中にある映像が消えていく。言葉にすればするほど現実に近づいていく。夢から遠ざかっていく。夢と現実の境目に誰かがいる。その誰かを僕は心の中に仕舞い込んで、夢を現実にし、現実を夢にする。
言葉を食べるという感覚。とにかく言葉を食べて食べまくってお腹いっぱいにして寝たい。いい言葉を食べるほど上質な夢を見ることができる。僕は言葉を食べて、月に乗って、素敵な夢を見て、最後に踊る。そうやって地球をめぐって、季節を感じて、好きな人と手を繋いで、海に飛び込んで、命をこぼす。
世界を横断していく。この世界は赤が青になっていて、この世界は黄色が緑になっている、その連続。世界に色はなかった。人間の心の中にある色を、世界に投影しているだけに過ぎなかった。私はどれだけ色を探してあらゆる場所を駆け回っただろう。宇宙にも行ったし死んだ好きな人にも会いに行った。



