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東京上映、
終わりました。
本当に本当にありがとうございました。
映画を介してたくさんの素敵な方々にお会い出来て、とても充実した四ヶ月でした。
映画を作ると言うことの意味がやっとわかりました。
男たちは帰ってこないですが、小嶋はまた帰ってきますので、引き続きよろしくお願いします。
またどこかでお会いしましょう。
2025.3.28〜2025.7.17
#帰ってこなかった男
平成なMVの空気も感じるが、MV(PV)ってこれだよね感。
こういうコンセプト重視なMVって若いDrはなぜ追求しないんだろう。
Base Ball Bear-愛してる メジャーデビュー20周年記念【Official Full HD Remastered Video】 youtu.be/1-aJOnbeIes?si=YzL5…
小嶋貴之 retweeted
出演しました💡
同じ脚本で違う監督、違うキャストでつくる4作品。
スプロケの定例、勉強会です!
ぜひご覧ください!!
今回もたくさん反省、まだまだ精進して参ります!
他のチームともそれぞれの個性が出ていて楽しめるのでぜひ!
リプ欄にぶら下げておきます🌼
Replying to @SprocketHolesJp
【team2 にこら組】
Cast
茅原拓也 @KAYAtakubb
つつじあゆこ @ayupanman41
悦永舞 @etsunaga_m
卯ノ原圭吾 @keigo_unohara
清成月恵 @yk_Luce_diem
実倉萌笑
大村健太 @KentaOmura1106
Staff
監督:にこら @nicola_movie
撮影:小嶋貴之 @kozyman313
Bカメラ:白井絢香
照明:西村 紘 @krsk246r
録音:佐藤祐介
美術応援:藤堂信長, 杉山麻衣 @toudou_nobu
助監督:伊東祐輔
youtu.be/CHTQbdO8KMI?si=b5fm…
小嶋貴之 retweeted
僕が共同代表しているオンラインコミュニティで定期的にやってる勉強会です。
演出と演技の筋トレです。
同じ脚本でも監督と俳優が違えばそれぞれ別の作品が生まれる。
全4組。チーム4で僕も監督として参加してます。めちゃくちゃ勉強になります🔥🙇♂️
#スプロケ
─脚本はあくまで地図にすぎない
目的地が同じでも、監督と俳優が変われば、
見える景色はここまで変わる。
Sprocket Holes #17
『底心 ―そこごころ―』
脚本:芳坂映由花 @yoshizakahayuka
今回は…
生徒の不適切な売買が発覚した中学校で
教師たちの話し合いを描く会議室劇です🕑
◇━━━━━━━━━━━━◇
一つの脚本を
・4人の監督
・4通りのキャスティング
の4チームで創造。
各チームに与えられるのは
準備1時間・撮影1時間のみ
丸一日をかけて全チームが
思い思いの作品に仕上げる
本格的かつ実践的な勉強会
(撮影筋トレ)です
◇━━━━━━━━━━━━◇
同じ台詞、同じ場所。
なのに、
監督の「演出」と俳優の「解釈」が交わった瞬間、
4つの全く異なる"真実"が立ち上がる。
🔴Team1 杉山組
🔵Team2 にこら組
🟡Team3 岩元組
🟢Team4 末吉組
各チームの作品URL・キャスト/スタッフは以下ツリーより📸👇
こちらも撮影しました。
Replying to @SprocketHolesJp
【team3 岩元組】
Cast
米元 信太郎 @ShinYonemoto
七々原静実
芳坂映由花 @yoshizakahayuka
島林瑞樹 @mizuki_thief
杉山麻衣 @maithi_sun
Staff
監督・編集:岩元薫 @Iwamoto_Kaori
撮影:小嶋貴之
照明:西村 紘
Bカメラ:白井絢香
Cカメラ:清成月恵
録音:佐藤祐介 @YskFilm
制作協力:宮本聖矢
撮影協力:藤堂信長
youtu.be/5Z5yXO2pUqQ?si=SOkM…
小嶋貴之 retweeted
Sprocket Holes #17
『底心 ―そこごころ―』
4チーム全ての作品の
プレイリストはこちらから
youtube.com/watch?v=2CPSRN38…
小嶋貴之 retweeted
─脚本はあくまで地図にすぎない
目的地が同じでも、監督と俳優が変われば、
見える景色はここまで変わる。
Sprocket Holes #17
『底心 ―そこごころ―』
脚本:芳坂映由花 @yoshizakahayuka
今回は…
生徒の不適切な売買が発覚した中学校で
教師たちの話し合いを描く会議室劇です🕑
◇━━━━━━━━━━━━◇
一つの脚本を
・4人の監督
・4通りのキャスティング
の4チームで創造。
各チームに与えられるのは
準備1時間・撮影1時間のみ
丸一日をかけて全チームが
思い思いの作品に仕上げる
本格的かつ実践的な勉強会
(撮影筋トレ)です
◇━━━━━━━━━━━━◇
同じ台詞、同じ場所。
なのに、
監督の「演出」と俳優の「解釈」が交わった瞬間、
4つの全く異なる"真実"が立ち上がる。
🔴Team1 杉山組
🔵Team2 にこら組
🟡Team3 岩元組
🟢Team4 末吉組
各チームの作品URL・キャスト/スタッフは以下ツリーより📸👇
撮影しました!
明快な感じで押さえました。
Replying to @SprocketHolesJp
【team2 にこら組】
Cast
茅原拓也 @KAYAtakubb
つつじあゆこ @ayupanman41
悦永舞 @etsunaga_m
卯ノ原圭吾 @keigo_unohara
清成月恵 @yk_Luce_diem
実倉萌笑
大村健太 @KentaOmura1106
Staff
監督:にこら @nicola_movie
撮影:小嶋貴之 @kozyman313
Bカメラ:白井絢香
照明:西村 紘 @krsk246r
録音:佐藤祐介
美術応援:藤堂信長, 杉山麻衣 @toudou_nobu
助監督:伊東祐輔
youtu.be/CHTQbdO8KMI?si=b5fm…
小嶋貴之 retweeted
【team2 にこら組】
Cast
茅原拓也 @KAYAtakubb
つつじあゆこ @ayupanman41
悦永舞 @etsunaga_m
卯ノ原圭吾 @keigo_unohara
清成月恵 @yk_Luce_diem
実倉萌笑
大村健太 @KentaOmura1106
Staff
監督:にこら @nicola_movie
撮影:小嶋貴之 @kozyman313
Bカメラ:白井絢香
照明:西村 紘 @krsk246r
録音:佐藤祐介
美術応援:藤堂信長, 杉山麻衣 @toudou_nobu
助監督:伊東祐輔
youtu.be/CHTQbdO8KMI?si=b5fm…
ラモン・チュルヒャーの映画いいなあ。
家の中で撮る、変な映画作りたいなー、と夜中の3時に思って居たら、面白そうな設定が思いついて、AIとグチャグチャやってたら朝方には短編のプロット出来た。
意外に古典サスペンスみたいな話。
再びMrs. GREEN APPLEのMVが批判されている。
「シンデレラに憧れる」少女が大人になってドレスを着られる仕事についたけど、それはキャバクラ嬢で…。というドラマMV「シンデレラ」。
同じ業界の末端でなんとかしがみついている人間としてとても気になったので観てみた。勉強も兼ねて。
SNSを見ると「ドレス=キャバ嬢」というのが安易、など毛嫌いされている様。作り手が伝えたいのは「憧れてたドレスを着れる仕事に着いたのに……」という皮肉だと思うのだけど、それが伝わっていないみたい。
加えて「夜職を賛美するのはおかしい」という批判まで。こっちの考え方の方が問題だと思うけど。
また、この物語自体が「夜職を否定している」と見てしまうのもかわいそう。
誰もが「こんな人生で良かったのか」と悩むことはあると思う。この物語はたまたま夜職に着いたけど、自分には合ってなくて悩んでいる(夢見た未来に辿り着けない情けない自分)、というのをシンデレラとキャバクラというモチーフをドレスで繋いで見せているだけ。
この辺りが伝わらないとしたら、視聴者の読解力の問題も考えられると思う。
正直MV自体は上手くないと思う。ラストも子供の自分と高校生の自分が今の自分を励ます、という構図はわかりづらい。いつの時代も気持ちは変わらない、持ち続けていい、ってことかな?うーん。
幼い頃に後から生まれた下子に嫉妬するシーンに至ってはテーマからぶれている気がする(そのシーンの子役の芝居は素晴らしい)。
ちょっと解釈が曖昧なのも、勘違いされてしまった理由かもしれない。MVにはありがちですけどね。(まあ自分も見に覚えなくは…)
にしても、少しネガティブ要素を入れただけで批判されるのも有名税というにはかわいそうな気がする。
物語を読み解く力を視聴者にどこまで求めていいのか、その苦しみは有名バンドだって同じなんだなと思った。
薄々は感じていたんだけど、言語化されると関心しかない。
言語化されて初めて頭の中で整理されていく。
「今の典型的な映画は、1950年代の典型的な映画と比べて、ショット数(カット数)がほぼ3倍」という記事を読んで思うのは、「多い・少ないどっちが芸術的か」とか「昔の映画が良かった」とか「今はドパガキ仕様」とか言いたいんではなくて、
なんとなくだけど、自分の感覚では「少ない映画」は「見ることで理解させる志向」の映画で、「多い映画」は「感覚に訴えかけ疑似体験をさせる志向」の映画なのかなと。どういうことかと言うと⋯
『映像』という技術には原理的に「映らない」ものが幾つかあって、例えば「カメラフレームの外」は映らない。映画で観てる部分のすぐ外側にスタッフさんが沢山いても、映ってないから気にならない。
例えば「心の中」は映らない。役者が悲しい顔をしたりするから「この人は悲しいんだ」と視聴側が捉えるだけで、役者がその日の晩ご飯を考えていてもバレない。心の中は映らないから。
例えば「味」「匂い」「暑い」「痛い」は映らない。役者のリアクションで「ああ、臭いんだ」とわかるが、映像には「視覚と聴覚以外の五感」は映らない。
何の話かと言うと、映像という技術は、この「映らないもの」をどう表現するかで進化してきた面がある(そればかりではないが、そういう面があるという話)。
「フレームの外」をもっと見たい欲望は、一つにスペクタクル映画と繋がってると思うんだけど、「平面の四角いフレームを観てるけどなんか凄い巨大なものを観てるように錯覚させる」という演出とか技術が発達する。
そしてシンプルにシネスコ、IMAX、3Dと、画面の拡張も進歩する。
そうすると映画を見てるんだけど「なんか体験してるみたい」となった。スクリーンがデカい、映画も巨大なものを錯覚させると、観客は「体験してるみたい」となる。なった。これに「匂い」とか「体が感じる振動」が加わってより「体験」なのが4D。
一方、「心の中」も映らない。これは編集という技術で大きく進歩した。「見てる男」の顔からは心は読めないが、「その男が見てるもの」が次に映ると「男はそれを見て何か考えてる」とわかる。そしてその感情は予想しやすくしてある。例えば、男子がチラッと何かを見て、その次に視線の先の女子が映ると「ああ、好きなんだな」とわかる(ように編集させている)。
あと演技。多くのフィクションの中の人が現実よりちょっと感情的なのは、映らない心の中を観客に伝えるため。そして「最小限の演技」で「深い感情」を伝える事ができると人は「名優!」などと言ったりする(そうとは限らんのだけど)。
で、話を戻すと、今の時代でカット数が少ない映画は「観客に感情を深く伝えたいので客観的によく見てほしい映画」で、カット数が多い映画は「観客にまるで体験してるように錯覚してほしいので客観に混乱してほしい映画」なのだと思う。ざっくり言うと。
だからもう「イマジナリーラインを超える」という映画編集における「基礎的な失敗」は、カット数が多い系映画においては失敗じゃないと思う。混乱させて、客観視する余裕を奪うくらいがスペクタクルな体験なのだ。
そしてカット数が少ない方は、じっくり見せて伝えたいものがあるのだ。そういう作品の方向性の違いであって、どっちが上品だとか、全く関係ないと思ってる。
gigazine.net/news/20261020-h…
小嶋貴之 retweeted
「今の典型的な映画は、1950年代の典型的な映画と比べて、ショット数(カット数)がほぼ3倍」という記事を読んで思うのは、「多い・少ないどっちが芸術的か」とか「昔の映画が良かった」とか「今はドパガキ仕様」とか言いたいんではなくて、
なんとなくだけど、自分の感覚では「少ない映画」は「見ることで理解させる志向」の映画で、「多い映画」は「感覚に訴えかけ疑似体験をさせる志向」の映画なのかなと。どういうことかと言うと⋯
『映像』という技術には原理的に「映らない」ものが幾つかあって、例えば「カメラフレームの外」は映らない。映画で観てる部分のすぐ外側にスタッフさんが沢山いても、映ってないから気にならない。
例えば「心の中」は映らない。役者が悲しい顔をしたりするから「この人は悲しいんだ」と視聴側が捉えるだけで、役者がその日の晩ご飯を考えていてもバレない。心の中は映らないから。
例えば「味」「匂い」「暑い」「痛い」は映らない。役者のリアクションで「ああ、臭いんだ」とわかるが、映像には「視覚と聴覚以外の五感」は映らない。
何の話かと言うと、映像という技術は、この「映らないもの」をどう表現するかで進化してきた面がある(そればかりではないが、そういう面があるという話)。
「フレームの外」をもっと見たい欲望は、一つにスペクタクル映画と繋がってると思うんだけど、「平面の四角いフレームを観てるけどなんか凄い巨大なものを観てるように錯覚させる」という演出とか技術が発達する。
そしてシンプルにシネスコ、IMAX、3Dと、画面の拡張も進歩する。
そうすると映画を見てるんだけど「なんか体験してるみたい」となった。スクリーンがデカい、映画も巨大なものを錯覚させると、観客は「体験してるみたい」となる。なった。これに「匂い」とか「体が感じる振動」が加わってより「体験」なのが4D。
一方、「心の中」も映らない。これは編集という技術で大きく進歩した。「見てる男」の顔からは心は読めないが、「その男が見てるもの」が次に映ると「男はそれを見て何か考えてる」とわかる。そしてその感情は予想しやすくしてある。例えば、男子がチラッと何かを見て、その次に視線の先の女子が映ると「ああ、好きなんだな」とわかる(ように編集させている)。
あと演技。多くのフィクションの中の人が現実よりちょっと感情的なのは、映らない心の中を観客に伝えるため。そして「最小限の演技」で「深い感情」を伝える事ができると人は「名優!」などと言ったりする(そうとは限らんのだけど)。
で、話を戻すと、今の時代でカット数が少ない映画は「観客に感情を深く伝えたいので客観的によく見てほしい映画」で、カット数が多い映画は「観客にまるで体験してるように錯覚してほしいので客観に混乱してほしい映画」なのだと思う。ざっくり言うと。
だからもう「イマジナリーラインを超える」という映画編集における「基礎的な失敗」は、カット数が多い系映画においては失敗じゃないと思う。混乱させて、客観視する余裕を奪うくらいがスペクタクルな体験なのだ。
そしてカット数が少ない方は、じっくり見せて伝えたいものがあるのだ。そういう作品の方向性の違いであって、どっちが上品だとか、全く関係ないと思ってる。
gigazine.net/news/20261020-h…
基本、MV撮影しかないので1ヶ月の撮影日数は多くて7、8日なんだけど、誘われたライブや上映、イベントがことごとく重なる。
てか最近はなぜか金土日が多いからかな。
面倒くさくて断ってるとは思われたくないので、最近は証拠のLINEの切り取りを見せたりしている。
まじ重なるのよ。
このポスト、じわじわ伸びてる
田中絹代監督『乳房よ永遠なれ』(1955)<10/22~11/10配信中> youtu.be/nGoQZ-dqdu0?si=1E8V…
11月10に配信終わりと知り、勢いで観出したんだけど、これはちょっと凄かった。
たくさん女性映画と言われるものがあるけれど、やはり女性監督しか描けないものってあるんだと。
そんな作品が日本2番目(戦後では1番目)の女性監督の手によってすでに生み出されていたとは。
これこそ女性を最大に体現した映画ではなかろうか。
浅く見ると激しめな女性の一生、としか見えないが、当時の女性の立場に潜んでいた女性性の激情の迸りと悲しみが混沌としてて、こんな脚本よく書けたなと思う(脚本家も女性)。
男性の自分から見ると主人公の行動を「すごいな」としか思えないのだけど、これが女性なのかと、なんだか納得してしまう。
やはり当時は先進的すぎて不潔な作品と批判されたらしいが、脚本家は「近代的な企業の一つに数えられる映画が、実は前近代的な人間像に停止している」と言い返した。
正直一人の観客がたまたま見た映画の感想なんて、数々の想いを背に長年かけて作り上げた作り手に遠く及ぶことはなく、全く読み込めてない感想には作り手が反論してもいいと思う。「言い訳」と取るのは浅い見地にしか思えない。
写真のカットはベッドの真下から撮ったカット。
(ベッドのマットは透明にされている。奥に見えるのは天井)
こんな跳び技なカットもこの物語の前では全く違和感がない。
話は逸れたが、それだけ先進的な映画で、70年経った今見ても全く色褪せていない。
優れた映画は古びない。
#乳房よ永遠なれ
小嶋貴之 retweeted
田中絹代監督『乳房よ永遠なれ』(1955)<10/22~11/10配信中> youtu.be/nGoQZ-dqdu0?si=1E8V…
11月10に配信終わりと知り、勢いで観出したんだけど、これはちょっと凄かった。
たくさん女性映画と言われるものがあるけれど、やはり女性監督しか描けないものってあるんだと。
そんな作品が日本2番目(戦後では1番目)の女性監督の手によってすでに生み出されていたとは。
これこそ女性を最大に体現した映画ではなかろうか。
浅く見ると激しめな女性の一生、としか見えないが、当時の女性の立場に潜んでいた女性性の激情の迸りと悲しみが混沌としてて、こんな脚本よく書けたなと思う(脚本家も女性)。
男性の自分から見ると主人公の行動を「すごいな」としか思えないのだけど、これが女性なのかと、なんだか納得してしまう。
やはり当時は先進的すぎて不潔な作品と批判されたらしいが、脚本家は「近代的な企業の一つに数えられる映画が、実は前近代的な人間像に停止している」と言い返した。
正直一人の観客がたまたま見た映画の感想なんて、数々の想いを背に長年かけて作り上げた作り手に遠く及ぶことはなく、全く読み込めてない感想には作り手が反論してもいいと思う。「言い訳」と取るのは浅い見地にしか思えない。
写真のカットはベッドの真下から撮ったカット。
(ベッドのマットは透明にされている。奥に見えるのは天井)
こんな跳び技なカットもこの物語の前では全く違和感がない。
話は逸れたが、それだけ先進的な映画で、70年経った今見ても全く色褪せていない。
優れた映画は古びない。
#乳房よ永遠なれ
小嶋貴之 retweeted
自分も「親切設計」だと書いた。
確かにNetflixと考えるとそれも必要だったかもしれない。凡百の監督ならモノローグとかでやってしまいそうな部分を説明と意識させない形でやったのはさすがのイ・チャンドン。
ただそのお陰で尺は確実に長くなっているのも事実。まあそれもNetflixだから関係ないと言うことか。
あと本当に想像させる余白が欲しいなと思っただけで、エリート気取りのつもりはない。
「もしもの愛」が親切設計すぎるみたいな意見を目にしたけど、いくらなんでもそれは映画エリート気取りすぎると思った。同じように社会情勢と人間関係の複雑さを描いたクレベール・メンドンサ・フィリオの新作「シークレット・エージェント」を最近観て「さすがに不親切設計すぎるわ!笑」(良作だけど、前提として70年代ブラジル内政の知識がないとニュアンスをつかめない。で、自分もそこは覚束ない)と思ったばかりだったので。イ・チャンドンは「もしもの愛」で説明的になりすぎないギリギリの線を狙いすまして成功してると思う。あれ以上スカしたら(寝転がってNetflixで見るような)多くの観客が大事なものを受け取り損なうと思う
田中絹代監督『乳房よ永遠なれ』(1955)<10/22~11/10配信中> youtu.be/nGoQZ-dqdu0?si=1E8V…
11月10に配信終わりと知り、勢いで観出したんだけど、これはちょっと凄かった。
たくさん女性映画と言われるものがあるけれど、やはり女性監督しか描けないものってあるんだと。
そんな作品が日本2番目(戦後では1番目)の女性監督の手によってすでに生み出されていたとは。
これこそ女性を最大に体現した映画ではなかろうか。
浅く見ると激しめな女性の一生、としか見えないが、当時の女性の立場に潜んでいた女性性の激情の迸りと悲しみが混沌としてて、こんな脚本よく書けたなと思う(脚本家も女性)。
男性の自分から見ると主人公の行動を「すごいな」としか思えないのだけど、これが女性なのかと、なんだか納得してしまう。
やはり当時は先進的すぎて不潔な作品と批判されたらしいが、脚本家は「近代的な企業の一つに数えられる映画が、実は前近代的な人間像に停止している」と言い返した。
正直一人の観客がたまたま見た映画の感想なんて、数々の想いを背に長年かけて作り上げた作り手に遠く及ぶことはなく、全く読み込めてない感想には作り手が反論してもいいと思う。「言い訳」と取るのは浅い見地にしか思えない。
写真のカットはベッドの真下から撮ったカット。
(ベッドのマットは透明にされている。奥に見えるのは天井)
こんな跳び技なカットもこの物語の前では全く違和感がない。
話は逸れたが、それだけ先進的な映画で、70年経った今見ても全く色褪せていない。
優れた映画は古びない。
#乳房よ永遠なれ











