佐藤正行 (@kampfer321) profile picture

元週刊プロレス編集長  前月刊ベースボール編集長

Joined July 2023
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月刊プロレス第1号は伊藤雅奈子さんの協力なくして成り立たなかった。長与さん、飛鳥さんをはじめ全女OBの皆さんとつないでくれた。クラッシュ親衛隊からデラプロの井田真木子さんの原稿に憧れ週刊ファイト記者に。少女たちがクラッシュに熱狂した理由も存分に語ってくれた。ありがとうございました。
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あの前田日明さんがここまで長与千種論、(当時の)女子プロレス論を語ったことはいまだかつてなかったと思う。よろしくお願いいたします。
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久々に川田利明さんに会った。月刊プロレス第2号に向けて、「麺ジャラスK」でインタビュー。全日本プロレス時代の思い出話に花が咲いた。
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月刊プロレスNostalgia、創刊第1号は「クラッシュ・ギャルズと全日本女子プロレス」を特集しています。11月10日発売。よろしくお願いします。
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説得力のある選手に、素晴らしい。南小桃はよくわかっている、
長野・松本大会ありがとうございました〜 本日もアイコンピーチアロー勝利! もっともっと説得力のある選手になります! そして、遂に!! アイコンピーチアローの入場曲が出来ました〜🩵🍑🏹 本日、初お披露目!!良い曲なの!! 皆さん、ぜひ会場にて私達のハッピーに包まれてください! #pw_mg
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あれだけ保守的な広岡さんが来季からのセ・リーグDH制導入に関しては異を唱えていない。西武監督としてDH制のパ・リーグを制して82、83年と日本一になったのだから、さもありなん。ちなみに当時の日本シリーズはまだDH制が採用されていなかった。
「恐らく広岡(達朗・西武監督)さんはパ・リーグの野球なんてちょろいと思っていたと思う。レベルはセ・リーグの方が高いと。 ところがあるとき広岡さんが言った。パの野球には憎しみがあるね、と。恐らく本気になって向かってくる凄みのようなものを感じたんでしょう」 坂井保之(西武球団代表)
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1986年。 フライデー襲撃事件でビートたけしが逮捕された。 母・さきは報道陣に言い放った。 「あんなどうしようもないのは、 死刑にでもしてください」 息子をかばうどころか、 突き放した。 1994年。 たけしがバイク事故を起こした。 顔面に大怪我を負い、 生死の境をさまよった。 そんな息子に母が放った言葉は、 「死んでりゃよかった」 売れっ子になってからも変わらない。 母の日に花を持っていけば、 「花なんかいらない。金をよこせ」 たけしが稼ぐようになると、 何かにつけて金を要求した。 息子が逮捕されても突き放す。 死にかけても容赦しない。 成功すれば金を要求する。 少なくとも、 表から見えるさきは、 そんな母親だった。 1999年。 95歳になったさきは入院していた。 たけしが見舞いに行っても、 相変わらずだった。 病床でも金の話をする。 弱っても、この母親は変わらない。 やがて、たけしが帰ろうとした。 その時だった。 母の目から涙がこぼれた。 「ターチ……」 世界のキタノと呼ばれるようになった息子を、 子供の頃の呼び名で呼んだ。 「また来るから」 たけしがそう言うと、 さきはすぐにいつもの調子に戻った。 「今度来る時は、名前が変わってるよ」 葬式では焼香だけして帰ればいい。 最後まで憎まれ口だった。 病院を出ると、 姉が追いかけてきた。 「母ちゃんから預かってる」 小さな包みを渡された。 帰り道、 たけしが包みを開けた。 中に入っていたのは、 北野武名義の郵便貯金通帳だった。 記録は1976年から続いていた。 二十数年間。 残高は約1000万円。 母が、 「金をよこせ」 と言って息子から受け取ってきた金だった。 その金には、 全く手をつけていなかったという。 それどころか、 自分の年金からも金を足していた。 芸人なんて、 いつ仕事がなくなるかわからない。 武は金があれば使ってしまう。 そう考えた母が、 息子のために残していた金だった。 最後の入金は、見舞いのわずか1か月前だったという。 そして、もう一つ。 あのバイク事故。 「死んでりゃよかった」 そう言い放った母は、 誰にも言わず寒川神社まで出向き、 息子が助かるよう祈っていた。 1999年8月。 北野さき、95歳で死去。 たけしは葬儀でも、 いつものように笑いを取ろうとしていた。 記者会見でも、 芸人らしく笑わせるつもりだった。 ところが、 母親のことを聞かれると、 言葉に詰まった。 そして、顔を覆って泣いた。 「あんなどうしようもないのは、 死刑にでもしてください」 「死んでりゃよかった」 「花なんかいらない。金をよこせ」 最後まで、 優しいことを言う母親ではなかった。 たけしもまた、 素直に優しいことを言う男ではなかった。 あの毒舌も、 母親譲りだったのかもしれない。 よく似た親子だった。 母を亡くしたたけしは言った。 「お袋が死んでも、背中に乗っかっているような気がする」 「頑張って、いい仕事をしようと思う」 毒舌とユーモアで、 どんなことでもネタにしてきたビートたけし。 そんな男が、 母を亡くした時だけは、 冗談を一切言わなかった。 母ちゃんの死だけは、 笑いにできなかったのだ。
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ベースボールマガジンでパ・リーグ60年記念特集。この時の山田久志さんインタビューは手応えがあった。強すぎる70年代の阪急ブレーブスを北の湖にたとえたのだった。
「阪急というのは不思議なチームでね、日本シリーズで応援してもらった経験は、イチローがいたオリックスのコーチ時代以外にないですよ。…それまではずっとヒール役ですよ。朝青龍の気持ちがよくわかった(苦笑)」  山田久志(2009年)
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山本さんは存在自体は畏怖すべきものがあったが、恐怖政治で部下の想像力を奪うことはしなかった。文章力、写真選び、コピーの付け方、インタビュー力すべてで突出していたから、恐怖政治で部下を縛らなくても、良いものを作ろうという意識で編集部には統一感があった。
Replying to @kampfer321
あの頃の週プロ編集部は、恐怖政治による部下の思考爆発?
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月刊プロレスNostalgia第1号、クラッシュ・ギャルズ特集。初めて、もしくは久々に一緒に仕事をするフリーライターさん、デザイナーさんと手探りのなか信頼関係を築いていかなければいけなかったが、皆さんプロの仕事をしてくださっている。おかげでプロレス復帰後初の「山登り」の頂上が見えてきた。
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面と向かって本気で厳しいことを言ってくれる人間は信用できる。チヤホヤしてくる人間ほど気を付けなければ、自分自身の堕落を招く。
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恐怖政治による部下の思考停止か、さりげなく部下を思いやる政治によって生まれる想像力か。それが問題だ。ちなみにどっちが簡単かといえば圧倒的に前者です。
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日本シリーズといえば、ハーフドームの西武ドームで行われた2008年(西武対巨人)はとんでもなく寒かった。それなのに、暖房完備で快適な完全ドーム球場より記憶に残っているのはなぜだろう。
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大学生の時に最も強く影響を受けた作家の1人、村上龍さん逝去。一般的には「限りなく透明に近いブルー」が有名だが、個人的なNO.1は「テニスボーイの憂鬱」。昨年12月には月刊ベースボールの「高橋慶彦と広島東洋カープ」に寄稿していただいた。謹んでご冥福をお祈りいたします。
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同じ村上でもホーリーな(聖なる)イメージが強い春樹さんより個人的には好きだった。
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ありがとうございます😊
かつて不人気だったパ・リーグ球団は、有力選手をドラフトで指名しても入団を拒否されることがしばしばあった。 そんな状況にあって、近鉄の西本幸雄監督はこう言った。 「入って来たヤツを鍛えればいいんだ」
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「女は犬とは違う、呼んだらいつでも尻尾を振って付いて来るとは限らない、いつでも付いて来る時期があるがそれは女が優しいからではない、時期が優しいのだ」(村上龍「テニスボーイの憂鬱」)。しびれた。
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