渡部真 retweeted
①ですね。
一概に「リアリティ」と言っても色々なリアリティがあります。
写真を参考にして写実的にすれば現実感はでます。
しかし写真を参考にすると「絵が止まる」という致命的な欠点が生まれます。
ボクシング等のスポーツ漫画の表現で重要なのは「支点力点作用点」そして「スピード」。
これを頭の中で踏まえて描くとたちまち動きが出ます。
すでに写実と妄想が合流していることを注視して下さい。
ここで問題となるのがアップかロングか。
見開き単位で見た時に必ず「誰がどこで何を」しているのかわかるロングのコマは必要です。
このロングでは「どこで」という課題があるので、しっかり背景を入れた方がいい場合が多いです。
背景資料で写真が必要なら参考にします。
しかし果たしてリアリティは伝わっているでしょうか?
漫画の罫線、つまりコマとコマの間には時間が流れていると思って下さい。
通常縦の線は細く横の線は太くなっています。
時間に置き換えると縦の線の連続、横移動のコマは時間の流れが速い。
横の線、縦移動のコマは時間の流れが遅くなる。
おそらく自然とそう読んでいるはずです。
優秀な漫画家はこれを利用してリズムを作ります。
タタタ(縦縦縦)、タン(横)、ダン(横)!『タパスタッイェーッイェー♫』みたいな感じです。
視線誘導等が大事と言われますがそれはできて当たり前です。
縦横の移動、送り開き、手を止める流す、あらゆる箇所にリズムを作る。
これが二次元の画面における最も重要な「演出」の一つです。
そしてそのリズム感の違いが「個性」の一つです。
どうですか?リアリティの正体がだんだんわかってきたと思います。
写実でもいい、ギャグ風でもいい、僕の場合はリアルとギミックの中間を心掛けます。
リアリティとは伝え方で演出力です。
演出力とはイコール「コマ割り」です。
最初に戻ります。
『リアリティを出す為に何を参考に描いているのか?』という質問でしたが写真や映像を観る時があるのは当然です。
しかしそれは重要ではなくパーツにすぎません。
漫画(萬画)とはその字の通り総合力です。
演出力といくつものパーツが組み合わさって全体となります。
参考資料を強いて挙げるとしたら自分の中に蓄積された情報です。
なんとなくわかりますかね?
うー、本当はもっと細かく伝えたいのですが長くなってしまうのでこのへんで。
上っ面の回答になってしまい申し訳ないです。
今回はスポーツ描写におけるリアリティについてでしたが次回があればもう少し踏み込んだ話ができるといいですね。
ドラマとストーリーの違い、どちらを優先すべきか、とか。
ここまで読んだ方、全て僕の主観によるものということを忘れずに。
作家によってずいぶん考え方は違うし、昭和生まれの僕の手法はおそらく古いです。
Replying to @WANPOWANWAN
いえ、偶に模写やイラストを趣味レベルで描くくらいで限りなく①の読者側の人間です。あと、ライフワークでゆでたまご先生のキン肉マンの新超人の公募コーナーに応募するキャラを描く程度です😅
ただ、森川先生の漫画の迫力や説得力リアリティの源泉は漫画家としての才能や創造力だけでなく、積み重ねた経験や体験と物事の本質を見抜く目からなのでは?と読者側から勝手な想像で感じたのでご無礼とは思いますが一度この質問をぶつけてみたかっただけです。
渡部真 retweeted
回答は漫画の技法の話になりますが、どのレベルで答えていいのかわかりません。
①漫画を読む側の方ですか?
②漫画家志望の方ですか?
③すでにプロの方ですか?
④表現方法に悩まれている方ですか?
①→④で当然回答と説明のシビアさとが変わり僕からも質問することにもなります。
④だと長文のやり取りになるでしょう。
続けますか?
Replying to @WANPOWANWAN
全く関係ない事になりますが森川先生に質問というか愚問です。
先生がはじめの一歩を描く際リアリティを出す為に実際のボクシングシーンで良いなという場面があったら写真や映像を見て参考にして構図に活かされたりしているのでしょうか?それとも完全に頭の中で構築したイメージだけを頼りに描かれているのでしょうか?
最近どこかでそういうポージングやシーンを参考にして描く事すら悪とみなすような事が書かれいて疑問に感じた次第です。
渡部真 retweeted
#TAMA映画祭 今年も登壇します!
というわけで前夜祭も兼ねて久々に阿佐ヶ谷ロフトにて団地団開催。土曜昼間なので時間になったらちゃんとビタッと終わりますよ!(←そこ?)ぜひビール飲みに来てください🍻
そうではないはずだ、と思ってデモ全般の話していると、
xitter.cf/j_tphoto/status/210928…
って話で、高井さんが一部の部分について話すので。
デモや集団的抗議行動(ストも含めれますが、話が逸れそうなので、言葉変えておきます)の一部の話と、全体の話が、混同しないで伝わってるならば、僕は一部のアフォのことを批判することは反対する立場ではなく、むしろ賛同してるので、何もいうことはありません。
少なくとも僕には、全体が萎縮する可能性を高井さんの言葉からは感じるということです。
だから、その理屈だとデモやストが本質的に先鋭化しやすい構造になってるとか、相対的にデモやストの多くのケースで先鋭化あるいは暴力的になっているっていう事実でもない限り、デモやストを丸っと否定できないでしょ。
集団行動のなかには、そういう先鋭化や暴力化になりやすい構造がわずかにあったとしても、例えば集団行動には「集会」という抗議行動があるけど、集会そのものはライブだって舞台パフォーマンスを見るのだって集会な訳です。集会全体を否定できない。
数を数えてはいませんが、おそらく平和的なデモやストの方が、圧倒的にい多いんじゃないでしょうか?
一部のアフォたちが起こす問題を、デモや集団的抗議行動の全体として否定してるように聞こえるのは、いささか行き過ぎではないですか?
理解して欲しいのは、一部のアフォのために、本来は持っている権利を行使することに、真っ当な、そして経験の少ない人たちを萎縮させてはいけないと、僕は思ってるってことです。
最初から、暴力革命は否定してるのも、そんな暴徒たちのことを高井さんが指してるのはわかった上で、だからと言って、全体が萎縮しないように指摘したつもりです。
まぁ、Xの短い投稿だけでは、互いに全てを語れないので言葉に限界があるわけですが。
僕も一貫してるつもりですが、民主主義において他者の権利行使のために社会全体が連帯しなければ、基本的に成り立たないって思っています。
だからこそ日常不断に、連帯や対話が必要で、もちろん「互いに」配慮が前提ですが、それらはあくまでも、権利行使を狭めないための手段であって、話し合いや配慮ありきではなく、まずは互いに権利を行使するために何を為すべきかがスタートであるってことです。
まぁ、結果としてはそれほど遠くないことを言ってるつもりですが、スタート地点が違うのかなって思います。
僕は、一部の暴徒や暴力革命者がアフォだからと言って、それよりも権利を行使する多くの真っ当な人間たちの行動原則の方を主に論じてるので。
渡部真 retweeted
大金持ちになりたいわけじゃなくて…
・ユニクロを高いと思いたくない
・カフェでケーキも頼みたい
・金欠で友達の誘いを断りたくない
・読みたい本は即買いしたい
・旬の果物を値引き待ちせず買いたい
・KALDIで値段より好みで選びたい
これくらい、普通に働けば叶ってほしい。
「収入を増やせ」って、ケーキ食うために本業のあと副業までしたくないんだわ。
そんなことは言ってないですよ。だから最初から「互いに」と言ってるんです。
例えば高井さんが例に出した中に入るであろう病院で言えば、ストを起こす事で必ずしも通常と比べスタッフが足りてるかどうか、病院によっては完全には確保できない事もあるんです(まぁ最近はほとんど昼時間のみってことが多いですけど)。あるいは公共交通は最近は少なくなりましたが、バスなどの便数を減らす事で利用者が不便になる。この時、それこそ一番弱い立場の人の生活に不利益が生じる可能性があるわけです。
ではどうすればいいかと言えば、そこで不便を生じる多くの人たちの協力によって、より立場の弱い人たちを優先的に不利益解消し合うしかない。市民全体がこういう覚悟を持たなければ、ストなんて成立しないって事です。デモをやれば多少なりとも渋滞が起きるかもしれない。そこでも同じです。
他者の権利を尊重するためには、自分にも多少の不便や協力が必要になる可能性がある。そしてそれは、明日の自分の権利を行使するために必要な痛みだったり犠牲だったりするかもしれない。これを包括できない社会は、成熟した民主主義とは言えないでしょう。
一番弱い立場の人に最大のコストや不利をもたらせる事を是にしろなんて話にならないように、日常的に理解し合える対話や連帯が必要だという事でもあります。
高井さんは、それをデモやストの権利行使者のみが背負うべきだと主張しておられるように見えます。もちろん、自らも責任や覚悟は生じます。しかし、権利行使者だけで解決しようと思っても、ほとんど無理です。それは現実的ではないです。
義務でもないし、誰が決めるのかという問題があるから対話が重要だということです。
民主主義の中で、公共や個々の自由を担保することは、どれも同じ葛藤があるはずです。
「必須ではないと書いてる」
私も必須とは書いていません。あった方が良いと思います。
『「互いに受け入れ合う」事の覚悟を持つことが、民主主義社会や人権を重視する社会には必要です。』
明確に反対です。
他者に被害を受け入れる覚悟を強要する社会は民主主義的ではありません。ファシズムです。
「その覚悟は、あくまでも受け入れられる程度のこと」
誰が受け入れる範囲を決めるのですか?
他者に被害を受け入れる覚悟を求める社会が受け入れたものに程度を伺う事があるとは考えずらいです。
自由には責任が伴います。
それは自分が起こした行動が他者の不利益になれば、その責任を負うと言う事です。
それは、デモだろうがストだろうが変わりません。
ですから、気を使うのは否定しておらず、互いに配慮するのも必然的だと書いています。しかしそれは、権利行使の行動にとって必須ではないと書いてるのです。
そして、こと権力者(為政者であったり経営者であったり)に対して弱者的立場にいる人たちが権利行使をするために、他の弱者が別の痛みが発生するとしても(もちろん暴力被害などは論外として)、それを「互いに受け入れ合う」事の覚悟を持つことが、民主主義社会や人権を重視する社会には必要です。
もちろん、その覚悟は、あくまでも受け入れられる程度のことであって(受け入れられる程度の犠牲とも言えるかもしれません)、大きな被害を受け入れろって話ではないです。だからこそ、そんな社会には多くの対話と広い連帯が重要だと、僕は言ってるのです。
インフラ系企業で一度ストが起きれば、生死に関わる人も出てくるため、各労組ちゃんと気を使ってますよね。
経営層とも相談して取締側から最低限の人員を出したり、ストはするけど止めない様に人出したり。
それで労働者の権利が小さくなったとは考えません。
むしろ、ストをデモの一つの手段として非暴力的に使っていて大いに結構と思います。
ストを起こすことで不便、被害を被る人々に対して気を使うことの何がいけないのでしょうか。
逆に、迷惑被る奴がいても俺の権利だとストやデモをする行為が、結果として味方を減らす行為になり、団体交渉すらうまく進まなくなることが何故お分かりになっていただけないのか、私には理解しかねます。
ところで、沖縄で修学旅行生を乗せた船の起こした事故について、辺野古の基地反対派や沖縄県知事選にまで及んで批判してた人たちは、それと同じエネルギーで、沖縄の女性が海兵隊員に殺された事件で米軍を含めて批判してるのかね?
いや、まあ批判しろとも思わんけど。
結果的に嫌がらせかどうかは、ストの行動とは無関係です。嫌がらせをするためでもないけど、嫌がらせにならないように配慮する必要もないです。
もちろん、互いに人間同士の交渉から始まるので、互いに配慮があるのは必然的ですが、それはスト権行使の本質ではないです。
Replying to @craft_box
ストは労働者の権利を守るためにあるのであって、会社への嫌がらせのためにあるのではありません。
結果が嫌がらせとならなくてもストはやるんです。
そこに大きな勘違いがあるのではないかと思います。








