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Replying to @aaaioippp
アイオイぴー retweeted
この話何度もするけど、私、中学生の時、女装した露出狂に遭遇したことあるんですよ。
なので、ごめんだけどトランス女性であろうが女装の変態であろうが区別がつかない以上、女性スペースや女性オンリーの場所(スポーツや女性枠のポストなど)は生来女性以外は立ち入りはNOと言っていきたい。
アイオイぴー retweeted
RT 女性自認の男を女性スペース等に受け入れないことを「トランス差別」とか差別ではないことを差別だと言って「差別」という言葉を軽いものにするのもそうだけど、レズビアン自認の男を男だと指摘することを「性暴力(性加害)」とか言って「性暴力(性加害)」という言葉までも軽いものにするなと思う。
アイオイぴー retweeted
「レズビアンは生物学的女性に限る」というのはあなたの定義で、当事者それぞれで考え方は違います
↑
まーた
歌川さんがしゃしゃりでてきてるのね
じゃあ逆にゲイで生物的男性以外でも
イケるって人はどんだけいてるのかしらって話やん
ほぼいないでしょ
アイオイぴー retweeted
「アウティングは性暴力」!!??!!
言葉は正しく使ってください。さすがにもっと適した言葉がほかにあるでしょう?
ちなみにレズビアンを自認する男性は、レズビアンを自認する男性であり、書けるものはレズビアン小説ではなく創作百合です。
「アウティングは性暴力」 芥川賞作家・李琴峰さんを襲う屈辱感 甲府市議の不法行為を司法が認めても…
tokyo-np.co.jp/article/52481…
アイオイぴー retweeted
「生来女性だと思われていた」…女性はこの認知力に恐怖を持ってるんだよね
学生時代に女子トイレに入ろうとして女子と揉めていたと言うのが本当なら「あなたは男ですよ」を無視してきたに他ならず
本来とは違う名乗りを自らあげるなら理由はつけないと周りに危険が及びます
例えばわたしの知っている子供が知らない大人に手を引っ張られて「この子の親です」と言っていたら私は「違います」という
なぜなら危険がそこにあるかもしれないからです
子供だけ、女性だけはとても狙われやすい。理由は非力だからは周知の事実
その弱いレズビアンというコミュニティに女性だと名乗る男性に生まれた人間があらわれたら
ほとんどの女性は彼女達を守る手段を考え、そして女性全体の危険を思い、実行するよ
アイオイぴー retweeted
性自認は本人の内的な認識です。他者認識は、その人を取り巻く社会の中で生じる認識です。両者は一致することもあれば、一致しないこともあります。
本人の自己認識を尊重することは大切です。しかし、他者の認識まで本人の自己認識と同一でなければならないと求めることは、別の問題です。
もちろん、他者が自分と異なる認識を持つことを理由に、本人を侮辱したり、不当に扱ったりしてよいわけではありません。しかし、尊重とは、すべての人が同一の認識を持つことを強制することでもないはずです。
それにもかかわらず、この認識の違いを指摘するだけで、ルッキズム、差別、トランスヘイターと非難されるのであれば、私たちは性別について、どこまで率直に議論できるのでしょうか。
他者の認識を指摘することと、他者を侮辱することを混同してはなりません。
そして、この問題は、レズビアン当事者にとって決して無関係ではありません。
ゲイもレズビアンも、歴史的には同性への性的指向、すなわち same-sex attraction を基盤とするセクシュアルマイノリティです。ここでいう「同性」とは、生物学的性(sex)に基づく概念です。
レズビアンという言葉は、単なる自己申告のラベルではありません。
女性同性愛者が、自らの性的指向を表明し、説明し、差別や排除に抗議し、性的境界線を守り、権利を主張するために使ってきた言葉です。
私たちは、自分たちが誰に惹かれ、誰を性愛の対象とし、どのような関係を築いてきたのかを説明するために、この言葉を必要としてきました。
だからこそ、レズビアンというカテゴリーの定義が、本人の自己申告だけによって変更されることには、重大な問題があると考えます。
生物学的男性が自らをレズビアンと名乗る場合、それをすべての女性同性愛者が当然に受け入れなければならないのでしょうか。
本人の性自認を尊重することと、女性同性愛者が自らの性的指向を定義する権利を尊重することは、両立しないのでしょうか。
私は、両者を混同すべきではないと考えます。
本人がどのような性自認を持つかという問題と、レズビアンという性的指向のカテゴリーをどのように定義するかという問題は、区別して議論する必要があります。
女性同性愛者が自らの性的指向を定義する権利、望まない性的接近を拒む権利、そして自分たちの経験を独立したカテゴリーとして語る権利も、同じように尊重されなければなりません。
誰かの自己認識を尊重することが、別の誰かの自己定義を否定する理由になってはならないのです。
さらに、女性同性愛者の性的境界線が曖昧にされることは、単なる言葉の問題ではありません。
誰を恋愛や性愛の対象とするかは、本人が決めることです。性的指向を理由に、特定の相手を恋愛や性愛の対象として受け入れるよう求められるべきではありません。
これは、トランスジェンダーの人々の尊厳を否定することとは別の問題です。個人を侮辱しないことと、性的指向のカテゴリーをどのように定義するかは、切り分けて考えなければなりません。
また、女性の身体的経験や性的境界線がどのように扱われるべきかという問題は、性被害サバイバーの権利とも関係します。
女性が自分の身体や性的境界線について語ること、他者との間に境界を設けること、そして自分の経験を自分の言葉で説明することは、尊重されるべきです。
それらの権利を主張することまで、誰かの性自認を否定する行為として扱われるのであれば、女性が自らの経験を語る自由はどのように保障されるのでしょうか。
私は、生来の女性であり、レズビアン当事者として、この問題を感情的な非難だけで片づけるべきではないと考えます。
問うべきなのは、誰かの外見が女性らしいかどうかでも、誰かの性自認を嘲笑してよいかどうかでもありません。
性自認と他者認識は、なぜ区別されなければならないのか。レズビアンという性的指向のカテゴリーを誰が定義するのか。そして、誰かの自己認識を尊重することが、女性同性愛者の自己定義や性的境界線を制限する結果になっていないか。
これらを、性的指向、女性の権利、個人の尊厳、そして性被害サバイバーの権利という、それぞれ異なる観点から検討する必要があります。
私は、その議論を避けることこそが、女性同性愛者の経験を不可視化することにつながると考えます。
アイオイぴー retweeted
私も本を読みました。
作品を読んで、「すごいレズビアン作家が出てきたものだ」と、私は純粋に嬉しく思いました。
友人との会話でこの本の話題になった際、生来男性であると聞いていました。そこで、なるほど、男性が描く百合小説なのかと思いました。
私たちレズビアンにとって、男性が描く女性同士の恋愛や性愛の表現は、必ずしも自分たちの経験や欲望を反映したものではありません。
男性向けのポルノグラフィーなどでは、女性同士の性愛が視覚的な性的イメージとして描かれ、男性の性的欲望を満たすために消費されることがあります。女性同士の関係が男性の視線から理想化され、性的な鑑賞対象として描かれることもあります。
しかし、私たちレズビアンは、男性を性愛の対象としていません。
だからこそ、男性の欲望を中心に構成された女性同士の性愛表現と、女性同性愛者自身の経験や欲望に根差した表現との間には、無視できない隔たりがあります。
私たちが大切にしているのは、女性同士の関係を男性の性的ファンタジーに回収されることなく、自分たち自身の言葉で表現することです。
これは、男性が女性同士の恋愛を描くこと自体を禁止すべきだという話ではありません。誰が、どのような経験や視点から女性同士の関係を描いているのか。そして、その表現が誰の欲望を中心に構成され、誰の経験を可視化しているのか。その違いを考える必要があるということです。
レズビアン文学において、物語は単なる性的イメージの集合ではありません。
女性同士が出会い、相手を知り、互いの感情を理解し、信頼を築き、関係性を深めていく。その過程で生まれる心理的な結びつきや、言葉にならない感情の機微、そして愛情が積み重なっていく物語にこそ、私は大きな意味を感じます。
女性同士の関係は、男性の視線から眺めるための性的なイメージではありません。私たち自身が経験し、感じ、築いていく関係性です。
だからこそ、レズビアン文学において重要なのは、女性同士の身体的な描写だけではなく、女性同士がどのように相手を愛し、理解し、関係性を育んでいくのかという、内面的な経験の描写なのです。
もちろん、レズビアンの性的指向や恋愛のあり方は一様ではありません。それでも、女性同性愛者自身の視点から描かれる心理や関係性には、男性の性的欲望を中心に構成された表現とは異なる、独自の意味があります。
私たちが大切にしているのは、女性同士の性愛を誰かの性的ファンタジーとして消費することではなく、女性同士の関係を自分たち自身の経験と言葉で表現することです。
だからこそ、海外のレズビアン作家のように、レズビアンを名乗る作家が現れ、芥川賞という大きな文学賞を受賞することに、私は期待を抱いていました。
レズビアンのコミュニティから、文学の世界で評価される作家が現れた。そのことを、私自身も嬉しく思っていたのです。
しかし、授賞式のライブ映像を見て、私は違和感を覚えました。
喉仏や骨格、声、仕草など、私が目にした身体的特徴や外見から、生来の女性ではないと認識したからです。
私は半世紀以上にわたり、国内外のレズビアンコミュニティの中で生きてきました。その過程で、さまざまなレズビアン当事者と出会い、女性同性愛者としての経験や、コミュニティの歴史、そこで共有されてきた文化に触れてきました。また、トランスジェンダーの友人たちとの交流もあります。
だからこそ、私が述べているのは、外見だけで人を判断したり、誰かの存在を否定したりすることではありません。長年の当事者経験を通じて認識してきた、生物学的性、性自認、他者認識の違いについてです。
もちろん、外見だけですべての人の生物学的性を確実に判断できるわけではありません。個々の身体的特徴にも多様性があります。
しかし、身体的特徴などから他者の性別を推測すること自体と、その人を侮辱したり、人格を否定したりすることは、まったく別の問題です。
私は、外見を理由に人を嘲笑したり、卑下したりすることを支持しません。
一方で、他者が自分をどのような性別として認識するかまで、本人が完全にコントロールすることはできません。
声についても同じです。声変わりによって低い声になる男性もいれば、そうでない人もいます。声の高さには個人差がありますし、声の女性化を目的とする治療や手術を受ける人もいます。
しかし、声や外見を変えることと、生物学的性そのものが変わることは、同じではありません。
ここで私が問題にしているのは、特定の身体的特徴を持つ人を批判することではありません。
本人が自分を女性と認識していることと、他者がその人を生来の女性として認識することは、同じではないという事実です。
↓次
アイオイぴー retweeted
Replying to @hxAZBNiR7K32129 @aaaioippp
この人の言ってることはあってますよー
今の定義だと、片方が性別男の認識女性の場合は『メイレズビアン』なのです
なので、レズビアンは生物学的に女性同士です🤭
アイオイぴー retweeted
Replying to @nagayasu_shibun @aaaioippp
割り当てられたんじゃないんですよ。
観察によって医者が客観的な生物学的現実を記載しただけです。
出生時の戸籍は決して変更できません。特例法を利用したことはその後の戸籍にもずっと残ります。
なぜなら、日本は出生時の性別が性別だからです。
note.com/wypcg332/n/n2fd87ef…
アイオイぴー retweeted
Replying to @hxAZBNiR7K32129
日本は性自認を採用していないので
異性愛+嗜好で説明する事になりますよ。レズビアン名乗りはは性自認が全面採用された世界でしか通用しません ノンバイナリーも同様
日本allyにありがちなんですが 誰が言ったかとか空気を読んでとか。中途半端な線引きをし過ぎで 整合性取れてないんですよね
アイオイぴー retweeted
私たちレズビアンにとって、「私はレズビアンです」と名乗ることは、男性からの性的アプローチを断るための手段でもあった。
生物学的男性がレズビアンと名乗ることで、とりわけ経験の少ない若いレズビアンが、自らの性的境界を否定され、圧力を受けたりする危険がある。
これは、レズビアン固有の経験を不可視化する「レズビアン・イレイジャー」であり、性的境界への侵害、ひいては性暴力の問題として議論されるべきだ。
ゴールドフィンガー事件で署名したコミュニティの人々は、ゲイやレズビアンを生物学的性別に基づく同性愛として理解していたはずだ。
レズビアンの経験と性的指向を無効化することは、マイクロアグレッションであり、レズビアン差別につなげた。
アイオイぴー retweeted
Replying to @hxAZBNiR7K32129 @aaaioippp
私が決めてるんじゃない。レズビアンの人たちがきめています。定義を壊すと、レズビアンオンリーのイベントも、アプリも作れなくなってる状況です。
オーストラリアで訴訟が起きてるのも、あなたのような人たちが定義を壊すからです。
アイオイぴー retweeted
「性別の指摘=性暴力」と拡大解釈するなら逆に問いたい。
生物学的男性が女性を名乗り、女性の空間・文化に侵入・消費する行為こそ性暴力ではないのか。
女性領域は女性のための防壁だ。
個人の自認を優先し、女性に譲歩を強いることは許されない。
心理的被害と身体的・性的境界の侵害を混同するな。
「アウティングは性暴力」 芥川賞作家・李琴峰さんを襲う屈辱感 甲府市議の不法行為を司法が認めても…
tokyo-np.co.jp/article/52481…


























