高齢者に契約書書いてもらうの時間かかるなーって感じたのが10年以上前。4年前に起業してからも感じてた。脱ハンコと電子契約。色々たらい回しにされたけど、今年初めにようやく回答貰えた。今は本格的に稼働中。
今話題の障がい者への性介助について、このブログを読んでたら、おぉぅ…となりました。
患者のためになると看護師が判断すれば、患者の明確な希望や同意を確認せずに性的な身体介入を入院中でも、行っても良いと考えていらっしゃるのかな?
ameblo.jp/cnn2019/entry-1297…
中村洋文@One-or-Eight.LLC代表 retweeted
はじめまして。One-or-Eight合同会社の広報アカウントです。弊社の魅力等発信していきたいと思います。よろしくお願いいたします!
昨年、この外国人3人の介護福祉士国家試験の対策講座を担当していました。
そして今日、あの時のお礼がしたいと食事会を開催してくれました。
本当、有難いですよね。
『試験や日本語の勉強など周囲の支援を得ながら言葉の壁を克服した3人』
言葉の壁越え、介護福祉士に 特定技能外国人3人が試験合格 和泊町・グループホーム故郷 buff.ly/8HYlYX5
#福祉 #介護 #ニュース
東シナ海も太平洋もちょっとした丘に登れば両方みえるような離島。
地域医療情報システムによると、両町の介護職員数は240.9人。
私は9年間、この地に出入りし昨年受講生が100名を超えました。
島内の介護職員の常勤換算人数の4割を超える人数に、養成の機会をこの9年間提供してきたということになります。
離島は陸続きじゃない。
人数を増やせないのは経営者失格?なら横取りせえってか?この240.9人も、100人も、転職したり島外に引っ越したりします。
ガソリンも日常生活必需品も全て高い。
そんな環境のなかで、人が入れ替わっても介護が途切れない地域をどうつくるか。それに挑戦し、実行し、結果を残し、実績を積み上げている。
本音言うと、身体が動くまでやり続けたいですが、後輩講師が欲しい…
これまで役職者が泣いて謝ってきた事が何度かある。
取引先との信頼関係は当然崩れるし、関係を絶ったところもある。
許す許さないじゃなくて、問題を起こしたあと、どうするかだから、当然責任は取ってもらうけど、人間性を否定してる訳ではなく、ミスをした役職者も、落込むけどそっから這い上がっていかないといけない。
その再起のチャンスは私が閉めたらダメ。
そして、あの子らは今も辞めてないし、何なら役職が上がってる。そして、以前より頼もしくなってる。
政治家の更迭のニュース。
弊社で仮に問題を起こした役職者がいたらどうするか…といつも考える。
当然客観的に調査はするし、法律違反を犯したのなら躊躇なく就業規則に沿った処分を下すだろう。
でも、ただのミスなら?
やっぱり守るだろうな。
この会社はあの子らが一生懸命紡いできた。
「その役職者を守ることで、会社自身が大きな批判を受けたり、経営上の損失を被ったりするとしても、同じ判断をされますか?」
この問いには明確な答えを持っていて、必ず守る。実際にそうやってきているし。
そりゃぁ、立場上、厳しく叱責もするさ。
反省も求める。責任は果たしてもらう。
でもやっぱり最後は恩義は忘れたくない。
ただ、恩義に縛られる経営はしない。
この辺りが経営者としての弱さだよなと思う。
政治家の更迭のニュース。
弊社で仮に問題を起こした役職者がいたらどうするか…といつも考える。
当然客観的に調査はするし、法律違反を犯したのなら躊躇なく就業規則に沿った処分を下すだろう。
でも、ただのミスなら?
やっぱり守るだろうな。
この会社はあの子らが一生懸命紡いできた。
「その役職者を守ることで、会社自身が大きな批判を受けたり、経営上の損失を被ったりするとしても、同じ判断をされますか?」
この問いには明確な答えを持っていて、必ず守る。実際にそうやってきているし。
そりゃぁ、立場上、厳しく叱責もするさ。
反省も求める。責任は果たしてもらう。
でもやっぱり最後は恩義は忘れたくない。
ただ、恩義に縛られる経営はしない。
この辺りが経営者としての弱さだよなと思う。
中村洋文@One-or-Eight.LLC代表 retweeted
【採用情報】訪問看護ステーションくるみでは、年間休日140日以上、夜勤なし、看護師さんのオンコール当番なし。仕事に本気で向き合うからこそ、休むことにも本気で向き合っています。働き方を変えたい看護師さん、ぜひ一度、採用サイトを覗いてみてくださいまし✌️
recruit.makecare.co.jp/
足が遅いことを「劣っている」と評価しているのは、むしろ順位をなくそうとしている大人自身ではないか。
多様性を認めろなんだろ?
足の遅い子がいたって良いじゃないか。順位は速さが基準になってるから遅い子は数値が大きくなるけど、遅さを基準としたら遅い子は1位になるじゃないか。
なぜそれをやらない?
結局、大人のエゴなのか?
足が速い子も、遅い子もいて良い。
勝つ子も、負ける子もいて良い。
悔しがる子も、喜ぶ子もいて良い。
それなのに、大人が望ましい結果や感情だけを残そうとするなら、いったい誰のための運動会なのか。
子どもを傷つけない教育と、子どもが傷つくことを一切許さない教育は、まったく違う。
多様性を認めなさいと言いながら、大人たちが子どもの能力の多様性を受け入れられていない。
能力の差は、残念だけど大人になったら幾らでも味わう。
採用試験、昇進、給与、業績、信用、そして人間関係…
努力したからといって必ず報われるわけでもない。自分より優秀な人もいれば、自分にはできて他人にはできないこともある。
そして、社会では必ずしも公平な基準で評価されるとは限らない。
勝った子には勝者としての振る舞いを、負けた子には敗者としての振る舞いを教えればいい。
勝って驕らず、負けて腐らず。
これは社会に出てからも必要な姿勢やん。
運動会には、速い子がいて、遅い子がいる。それが現実。
そこで順位を消しても、能力差そのものが消えるわけではない。
むしろ子どもは普通に「誰が速かったか」を見ているので、大人だけが順位をなかったことにするのは不自然だろう。
順位には、勝った喜びだけでなく、負けた悔しさもありる。その悔しさから「来年はもっと速くなりたい」とか、「練習しよう」と思う経験も教育の一部だと思う。
社会に出れば、試験、採用、スポーツ、仕事の成果など、比較や評価を完全には避けられない。
ただ、順位をつけることと、順位だけで人間の価値を決めることは全く別。
1位の子には「速かったね、努力したね」でいいし、
最下位の子にも「最後まで走ったね」「去年より速くなったね」そう評価すればいい。
全員を1位にする必要もなければ、最下位を辱める必要もない。
負けないように順位を消す教育より、負けたときにどう立ち上がるかを教える教育の方が大切だろう。
運動が苦手な子だって、勉強、絵、音楽、工作、コミュニケーションなど別の場所では順位が逆転するし、その逆もある。
学校教育って本来、「人によって得意不得意が違う」という現実を安全な環境で経験する場所でもあるはず。
「傷つく子がいるから順位をなくす」まで進むと、配慮というより、場合によっては現実そのものを子どもから遠ざけてしまう危険がある。
点数、勝敗、順位は、人格の価値を決めるものではないけれど、自分の現在地を知る機能も教育には必要。
「あなたはあなたのままで良い」と教えることと、「あなたの行動には責任が伴う」と教えることは、必ずセットでなければならないのよ。
運動会には、速い子がいて、遅い子がいる。それが現実。
そこで順位を消しても、能力差そのものが消えるわけではない。
むしろ子どもは普通に「誰が速かったか」を見ているので、大人だけが順位をなかったことにするのは不自然だろう。
順位には、勝った喜びだけでなく、負けた悔しさもありる。その悔しさから「来年はもっと速くなりたい」とか、「練習しよう」と思う経験も教育の一部だと思う。
社会に出れば、試験、採用、スポーツ、仕事の成果など、比較や評価を完全には避けられない。
ただ、順位をつけることと、順位だけで人間の価値を決めることは全く別。
1位の子には「速かったね、努力したね」でいいし、
最下位の子にも「最後まで走ったね」「去年より速くなったね」そう評価すればいい。
全員を1位にする必要もなければ、最下位を辱める必要もない。
負けないように順位を消す教育より、負けたときにどう立ち上がるかを教える教育の方が大切だろう。
運動が苦手な子だって、勉強、絵、音楽、工作、コミュニケーションなど別の場所では順位が逆転するし、その逆もある。
学校教育って本来、「人によって得意不得意が違う」という現実を安全な環境で経験する場所でもあるはず。
「傷つく子がいるから順位をなくす」まで進むと、配慮というより、場合によっては現実そのものを子どもから遠ざけてしまう危険がある。
点数、勝敗、順位は、人格の価値を決めるものではないけれど、自分の現在地を知る機能も教育には必要。

















