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「報われない」
「責任ばかり重い」
「板挟みでしんどい」
そう思われがちな管理職ですが、私は違う景色も見ています。
理不尽を受け止めたとき。
部下の成長を垣間見たとき。
自分がいなくても回るチームができたとき。
それって誇るべきことなんじゃないかな、と。
note.com/krtats_2/n/n69ba96f…
部署間で認識が食い違い、仕事が止まったことがある。
こちらは、事前に伝えたつもり。
相手は、聞いていないと言う。
また同じことが起きないように、私はメールを増やした。
依頼内容を書く。
期限を書く。
過去の経緯も添える。
上司や関係者もCCに入れる。
これなら記録が残る。
誰に責任があるかも明確になる。
正しい対応だと思っていた。
ところが、メールを送るたびに返信が長くなっていった。
「その認識は違います」
「こちらは以前から伝えています」
「念のため、経緯を補足します」
仕事を進める話より、どちらの説明が正しいかを証明する文章が増えていった。
やがて簡単な確認にも、多くの人がCCへ入るようになった。
関係者は増えたのに、話はますます進まなくなった。
記録は、認識をそろえるために必要なもの。
でも私たちは、それを自分の責任ではないと証明するために使い始めていたのだと思う。
それからは、食い違いがあるときほど、先に短く話すようにした。
今、何が止まっているのか。
お互いにどう理解していたのか。
次に誰が何をするのか。
責任の整理が必要なら、それも曖昧にしない。
ただ、まずは仕事を動かすための共通認識をつくる。
そのうえで、決まったことを文章に残す。
記録をなくす必要はない。
口頭だけで済ませれば、また同じ問題が起きるかもしれない。
ただ、メールは会話の代わりではなく、会話でそろえた認識を残すもの。
正しさの証拠を積み上げるほど、関係がこじれることもある。
会社で必要なのは、最後に勝てる記録だけではない。
次の仕事を一緒に進められる記録なのだ。
育成の成果は、上司の赤字が減っていくことにも表れる。
前回指摘された点を、今回は部下が提出前に直している。
そんな変化を見つけたら、「ここ、自分で気づけたね」と伝えたい。高い基準に近づいている実感も、次の挑戦を支える。
部下を本当に成長させる上司は、必ずしも部下から好かれる上司ではない。
例えば、部下が何日もかけて一生懸命つくった資料を持ってきたとする。
ある上司は「素晴らしい、あとはやる」と言う。一方、要求水準の高い上司は、本人がどれだけ頑張ったかを理解したうえで「こんなレベルでもってくるなよ」と平気で言う。
当然、部下からすれば前者の方がありがたいし、手離れがいい。後者は、せっかく頑張ったのに否定されるのはとても辛い。
でも、これを何年も繰り返したら、両者の成長には相当な差が生まれると思う。
仕事の能力というのは、今の自分ができることを繰り返しているだけでは、なかなか伸びない。自分では十分だと思っていたものが、もっと高い基準を持つ人から見れば全然足りていない。その事実に気づき、悔しい思いをしながら試行錯誤することで、少しずつ自分の基準が引き上がっていく。
私もこれまで、要求水準の高い人と仕事をすることで、自分の能力が大きく伸びた経験がある。
当時は正直、そこまで求めるのかと思うこともあった。でも、振り返ると、あのとき妥協せずにやり直した経験が、その後の自分の仕事の基準になっている。
当たり前だが、何の説明もなくダメ出しを繰り返したり、部下の努力を軽視したりすることが良いマネジメントだとは思わない。要求する側には、何が足りないのかを伝え、本人がその水準に到達できるように支援する責任がある。
ただ、部下が頑張ったという理由だけで、成果物の基準を下げてはいけない。
努力したことは認めればいいし、本人への敬意も必要だと思う。でも、それと仕事の完成度を評価することは分けなければならない。
上司が毎回最後に手直ししてしまえば、仕事は完成するかもしれないけど、部下はいつまで経っても自分の力でその水準に到達できない。
部下の仕事を完成させることと、部下を成長させることは、まったく違う。
本当に部下の将来を考えるなら、今の本人には少し厳しい要求をしなければならない場面もある。
その瞬間は嫌われるかもしれないし、感謝もされないかもしれない。
それでも、数年後に「あの人の下で働いたから、今の自分がある」と思ってもらえるなら、管理職としてはそれ以上に嬉しいことはない。部下に優しくすることより、部下の可能性を低く見積もらないこと。それが愛情だと思う。
得意先からメールが来る。
件名を見る前に、
一瞬だけドキッとする。
「何かあったかな」
仕事なんだから、
連絡が来るのは当たり前なのに。
そこで最近、
少し怖いことに気づきました。
自分からの連絡も、部下にとって同じなのではないか。
僕はただ、
「ちょっと確認したい」
だけかもしれない。
でも部下のスマホには、
「上司からメッセージが届きました」
と表示される。
その瞬間、
「何かミスした?」
「怒られる?」
「評価の話?」
と変換されているかもしれない。
管理職になると、
自分の言葉に、勝手に「効果音」がつく。
本人は普通に話しているつもりでも、
役職が上がるほど、
言葉の音量は大きくなる。
だから最近、
「ちょっといい?」
ではなく、
「急ぎじゃないです。○○の確認だけです」と用件まで先に伝えるようにしています。
心理的安全性って、
何でも言える職場をつくることだけじゃない。
上司から通知が来ても、心拍数が上がらない関係をつくること。
管理職になると、
自分が何を言ったか以上に、
相手にどう聞こえたかまでが仕事になる。
たぶんこれは、
管理職をやっている限り、
ずっと答えの出ないテーマなんだと思う。
レビューで何を話せばいいか迷ったら、まずこの3つをメモしておく。
・この案で何が楽になるか
・その代わり、誰の何が大変になるか
・どの条件が変わると成立しなくなるか
例えば「実装は早くなるが、運用側の確認は増える。件数が倍でも回せるかは確かめたい」。
最初から議論全体を仕切れなくても大丈夫。ひとつの見落としを具体的にすることから、設計への貢献は始められる。
チームに、
「失敗を恐れず、新しいことへ挑戦してほしい」と伝えていた時期がある。
あるメンバーが、これまでとは違う提案をしてくれた。
うまくいけば、新しい顧客層へ広がる。
一方で、実績が少なく、結果を読み切れない部分もある。
私は挑戦を後押しした。
ところが、期待した成果は出なかった。
上司への報告では、厳しい質問が続いた。
なぜ、この方法を選んだのか。
もっと早く止められなかったのか。
誰が、この判断をしたのか。
私は説明に追われ、チームへ戻ってからも原因を細かく確認した。
どこで判断を誤ったのか。
誰の確認が足りなかったのか。
なぜ予測できなかったのか。
再発防止のために必要な振り返りだと思っていた。
ただ、その後から新しい提案が減った。
会議に出てくるのは、過去に成功した方法の延長ばかり。
確実ではあるけれど、大きな変化もない。
あるメンバーから言われた。
「挑戦していいとは言われますが、失敗したときの扱いを見ると、安全な案を選びたくなります」
その通りだった。
挑戦を勧める言葉より、最初の失敗へどう反応するかのほうが、チームには強く伝わる。
それからは、結果だけでなく、判断した時点の状況を見るようにした。
どんな仮説があったか。
当時、どこまで情報がそろっていたか。
どんなリスクを想定していたか。
途中で止める基準は決めていたか。
今回の経験を、次にどう使うか。
準備不足や無責任な判断まで、挑戦という言葉で済ませる必要はない。
それでも、考えたうえで引き受けた失敗まで責め続ければ、次に手を挙げる人はいなくなる。
挑戦できるチームは、失敗を褒めるチームではない。
失敗しても、人格や評価のすべてまで否定されず、学びを次へ持っていけるチームなのだ。
メンバーから相談を受けたとき、すぐに答えることが自分の役割だと思っていた。
この提案なら、A案で進めよう。
そのお客様には、先に上司を巻き込もう。
納期が厳しいなら、この作業を後ろへ動かそう。
経験がある分、判断できることも多い。
早く答えれば、仕事も止まらない。
自分なりに、頼られる上司でいようとしていた。
ところが、いつからか相談の形が変わっていった。
「どうしたらいいですか」
「どちらが正しいですか」
「決めてもらえますか」
本人なりの考えを聞いても、
「まず上司の意見を聞こうと思って」
と返ってくる。
私は判断を助けているつもりで、考える前に答えを取り上げていたのかもしれない。
それからは、緊急でなければ、すぐに結論を言わないようにした。
今の時点では、どう考えているか。
何を一番心配しているか。
自分で決めるなら、どちらを選ぶか。
その判断に、何が足りないか。
最初は少し時間がかかった。
沈黙が続くと、こちらが答えたくなることもあった。
それでも待ってみると、本人の中にすでに答えがあることも多かった。
もちろん、すべてを部下へ返せばよいわけではない。
責任者として決めるべきことや、経験を伝えたほうがよい場面もある。
ただ、相談されたからといって、毎回答えを渡す必要はない。
答える。
一緒に考える。
本人に任せる。
その使い分けが必要なのだと思う。
頼られるリーダーでいることは大切。
でも、いつまでも自分がいなければ決められないチームにしないことは、もっと大切なのかもしれない。
評価の時期に、メンバーの実績を並べていたことがある。
売上を伸ばした。
新規案件を獲得した。
大きなプロジェクトを完了した。
数字で見える成果は、評価理由を書きやすかった。
一方で、評価に迷うメンバーがいた。
後輩の提案書を何度も確認する。
部署間の認識がずれたとき、間に入って整える。
急な欠勤があれば、黙って仕事を引き受ける。
チームには欠かせない存在だった。
ただ、本人の数字だけを見ると、ほかの人ほど目立っていなかった。
私は感謝を伝えつつ、評価は平均的なものにした。
面談で本人から、静かに聞かれた。
「周りを助ける仕事は、引き受けないほうが評価されるのでしょうか」
その言葉に、すぐ答えられなかった。
チームで助け合ってほしいと言いながら、評価では個人の成果しか見ていなかったからだ。
助けた人の時間は消え、助けられた人の数字だけが残る。
それが続けば、誰も横の仕事を引き受けなくなる。
それからは、目立ちにくい貢献も記録するようにした。
誰の成果を支えたのか。
どんな手戻りを防いだのか。
チームの時間やリスクを、どれだけ減らしたのか。
上司へ報告するときも、「チームで対応した」で終わらせず、誰が何を担ったかまで伝える。
もちろん、善意をすべて高く評価すればよいわけではない。
支える役割が一人に偏らないよう、仕事そのものを見直すことも必要だと思う。
見えない貢献を、見えないままにしない。
助け合いを求めるなら、助けた人が報われる評価をつくる。
それも管理職の責任なのだ。
「成果で評価します」と言われたので、仕事を早く終えて帰ったら「もう帰るの?」。
どうやら成果には、上司が帰るまで席を温めることも含まれていたらしい。
評価項目の隠しコマンドは、そろそろ公開してほしい。













