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韓国人|元Fashion業界|90s~日韓Fashion・Beautyを追跡。「韓国発」とされるFashion・Beauty、本当にそうなのかをファクトチェック💥

Joined May 2021
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JAPAN STYLE ARCHIVE MAKEUP ARCHIVE #06 蒼井優とIU 韓国で変化した、少女らしさのイメージ。 2008年、韓国でデビューしたIU。 翌年、彼女のイメージは大きく変わりました。 そして2012年、韓国メディアはIUのヘアスタイルとファッションを、日本の女優・蒼井優と直接比較しています。 「2000年代後半のお団子ヘアの流行は、蒼井優の前と後で分かれる」 そして2026年7月、韓国の美容ブログに書かれた言葉だ。 当時、韓国の女性芸能人たちもこぞってこの髪型を取り入れ、「国民の妹」になるための通過儀礼のようだったとまで振り返っている。 今回も、当時の日本と韓国のファッションやメイク、そして実際の街の雰囲気を比較してみたいと思います。 #蒼井優 #IU ⸻ ① 2012年、韓国メディアが比較した二人。 2012年2月24日。 韓国のファッションメディアに、IUと蒼井優のヘアスタイルを比較する記事が掲載されました。 その2日前、IUは韓国の音楽授賞式に、髪を高くまとめたアップスタイルとエスニックなミニドレスで登場。 記事では、その組み合わせが蒼井優を思わせると紹介されています。 単に私が二人を似ていると思ったのではありません。 当時の韓国メディア自身が、日本の女優を比較の対象としていたのです。 ⸻ ② 2008年、まだ違うイメージだったIU。 2008年9月、IUはバラード曲『미아(Lost Child)』でデビューしました。 当時は重く、切ない雰囲気の楽曲と、落ち着いたステージ衣装が特徴的でした。 しかし、デビュー当初の反応は決して大きなものではありませんでした。 そして翌2009年、彼女のイメージは大きく変化します。 ⸻ ③ 2009年、少女らしいイメージへの転換。 2009年4月、『Boo』。 可愛らしいヘアスタイル、ミニスカート、明るい色の衣装。 前年の重い雰囲気から、元気で愛らしい少女のイメージへと変わりました。 同年11月の『Marshmallow』では、その可愛らしさがさらに強調されます。 当時の韓国メディアも、デビュー時とは違うイメージへの変化を報じていました。 ただし、この時期のIUの明るいポップスタイルを、そのまま蒼井優のナチュラルスタイルと同一視することはできません。 重要なのは、その後の変化も含めて見ていくことです。 ⸻ ④ 2010年、IUの人気が大きく変わる。 2010年6月の『잔소리(Nagging)』。 そして12月の『좋은 날(Good Day)』。 IUの歌唱力は大きな注目を集め、人気も急上昇しました。 もちろん、楽曲の魅力や歌唱力が人気を支えたことは重要です。 一方で、デビュー当初からのヘアスタイル、メイク、衣装、そして少女らしいイメージの変化も、当時を振り返る上で見逃せない要素だと思います。 ① IUのデビュー当時(2008年) ② IUのお団子ヘア(2012年) ③ 蒼井優のお団子ヘア 👇
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⑤ そもそも、蒼井優は韓国でどれほど知られていたのか。 実は、IUが人気を高める以前から、蒼井優は韓国で注目されていました。 2008年2月には、韓国の新人歌手JOOが「韓国の蒼井優」と紹介されています。 そして2010年10月。 釜山国際映画祭に蒼井優が登場すると、多くの韓国の若い女性ファンが集まり、熱い声援を送りました。 日本の女優が持つ透明感や自然体のイメージは、すでに韓国でも知られていたのです。 ⸻ ⑥ 韓国で人気を集めた「蒼井優スタイル」。 2011年2月、韓国の美容メディアは、蒼井優の「お団子ヘア」が数年前から女性たちに人気だったと報じています。 同年7月には、蒼井優のナチュラルメイクとヘアスタイルを再現する方法を紹介する記事も掲載されました。 透明感のある肌、控えめなアイメイク、アプリコット系のチーク、自然なウェーブヘア。 日本の女優のスタイルが、韓国で具体的な美容のお手本として紹介されていたのです。 こうした当時の記録は、日韓のスタイルの関係を考える上で、とても興味深いものです。 ⸻ ⑦ IUは蒼井優を真似したのか。 ここは慎重に分けて考える必要があります。 IUが2009年からイメージを変えたこと。 蒼井優のスタイルが韓国で人気だったこと。 そして2012年に、韓国メディアが二人のヘアスタイルやファッションを比較したこと。 これらは、当時の記事で確認できます。 当時、IUのイメージの変化が、日本で以前から親しまれてきた少女的な美意識と重なって見えると感じていたのは、私一人ではありませんでした。 私の周囲でも、同じように感じていた人は多く、決して珍しい見方ではなかったと記憶しています。 そして実際に、2012年には韓国メディアが二人のスタイルを直接比較する記事まで掲載しています。 ただし、こうした共通した印象と、本人が意図的に参考にしたかどうかは、分けて考える必要があります。 ⸻ ⑧ そして、名前まで気になった時代。 もう一つ、当時の韓国で印象に残っていることがあります。 IU(アイユー)、ユイ、ナナ。 2008〜2009年頃、こうした名前の女性アイドルが相次いで登場しました。 日本では、すでに歌手のYUIが活躍し、漫画や映画の『NANA』も広く知られていました。 当時の私には、韓国の芸能界にも日本語の名前を連想させるような響きが並んでいることが、とても印象的でした。 もちろん、名前の響きが似ているからといって、日本から取った名前だという証拠にはなりません。 実際、IUの芸名は「I」と「You」を組み合わせたもので、音楽を通じて一つになるという意味だと、2008年のデビュー当時から説明されています。 それでも、当時の文化的な雰囲気を考える上で、私には興味深い光景でした。 👇
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⑨ 当時、韓国のファッションの現場で感じていたこと。 私は当時、韓国のファッションの現場にいました。 日本の音楽、ヘアスタイル、ファッション、メイク。 韓国で新しい流行として紹介されるものの中に、日本ですでに見かけていた表現とよく似たものがある。 そんな経験を何度もしました。 少し形を変え、違う名前で紹介される。 その過程を見ながら、私は複雑な気持ちになることもありました。 もちろん、似ているというだけで、すべてが日本から直接伝わったとは言えません。 しかし、当時の韓国のファッションや芸能界を語る上で、日本の影響は決して小さくなかったと思っています。 ⸻ ⑩ 芸能人のイメージと、実際の街の流行。 ここでも、前回のアーカイブと同じことを強調したいと思います。 芸能人のスタイルが注目されたからといって、それが一般女性の間でも同じように流行していたとは限りません。 例えば、当時の韓国ではアイドルのメイクにピンクのチークが使われることもありました。 しかし、私が実際に見ていた韓国の街では、一般女性が日常的にチークを使う姿はほとんど見かけませんでした。 雑誌やテレビに登場するスタイルと、街で実際に見られたスタイル。 私は、この二つを区別して記録したいのです。 ⸻ ⑪ 日本では、もっと以前から存在していた美意識。 前回のMAKEUP ARCHIVE #05でも紹介しましたが、日本には1980〜90年代の『Olive』少女文化がありました。 2003年の『Olive』最終号には、素肌らしさ、ピンクの唇、上気した頬を組み合わせたメイクも紹介されています。 そして2000年代には、蒼井優の自然体の美しさや、さまざまなガーリースタイルが注目されました。 2009年には「森ガール」という文化も広く知られるようになります。 もちろん、これらはすべて同じスタイルではありません。 日本では異なる少女的な美意識が、それぞれの形で発展し、同じ時代に共存していました。 ⸻ ⑫ 私がこの記録を残す理由。 文化が国境を越えること自体は、決して悪いことではありません。 新しい国で、別の感性と結びつき、新しい表現が生まれることもあります。 ただ、その文化がどこで生まれ、どのような歴史を持っていたのか。 そして、別の国でどのように受け入れられたのか。 その過程まで知ってほしいのです。 IUの音楽的な成功と、日本の少女的な美意識の影響は、別々に検証すべき問題です。 だからこそ、当時の記事や写真を比較しながら、自分が現場で見て、感じてきたことも記録していきたいと思います。 単に誰かを批判するためではなく、あの時代の文化の流れを、できるだけ正確に残すために。 ⸻ 次回予告:MAKEUP ARCHIVE #07 次回は、2010年代に注目を集めた「イガリメイク」から現在まで。 火照ったような血色感、透明感のある肌、そして時代とともに変化してきた日本のメイク文化。 それらが韓国でどのように受け止められ、取り入れられ、変化していったのか。 当時の記録と実際の街の雰囲気を比較しながら、振り返っていきたいと思います。 #平成メイク #日韓比較 #イガリメイク
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JAPAN STYLE ARCHIVE MAKEUP ARCHIVE #05 蒼井優と森ガール もう一つの、平成の美しさ。 今回も、当時の韓国のファッションやメイク、そして実際の街の雰囲気と比較しながら、日本の美意識がどのように受け入れられ、変化していったのかを振り返ってみたいと思います。 ⸻ ① 日本には、もう一つの美しさがあった。 安室奈美恵、浜崎あゆみ、ギャル、そして盛りメイク。 これまで紹介してきた、華やかな平成のメイク文化。 しかし、同じ時代の日本には、まったく違う美しさも存在していました。 黒髪、透明感、少女らしさ、飾らない自然体の魅力。 その象徴の一人が、蒼井優でした。 華やかに飾ることだけが、美しさではない。 日本には、そんな価値観も根付いていたのです。 ⸻ ② 1980〜90年代、Olive少女という文化 この美意識は、蒼井優の登場によって突然生まれたものではありません。 1982年に創刊された『Olive』。 パリの女学生を思わせるファッション、古着、雑貨、音楽、写真、文学。 単なる流行の服装ではなく、自分の好きなものを大切にし、独自の世界観をつくる少女たちの文化でした。 1980年代には、田中裕子の飾らない存在感や、初期の松田聖子に見られた柔らかな少女的イメージなど、それぞれ異なる自然さや可愛らしさの表現もありました。 もちろん、これらがすべて同じ系統だったわけではありません。 ただ、日本の「可愛い」には、以前からさまざまな形が存在していたのです。 ⸻ ③ 2003年、すでに存在していた少女的なメイク表現 2003年8月号、『Olive』最終号のNo.442。 そこには、素肌らしさ、ピンクの唇、上気した頬を組み合わせたメイクが紹介されていました。 当時の特集では、女の子らしさを強調する「プチ・セクシー」なメイクとして扱われています。 自然な肌の質感を残しながら、頬の血色や唇の色で柔らかな魅力をつくる。 こうした表現は、2008年頃のピンクチーク人気や、後の森ガールブームより前から、日本の女性誌に存在していました。 ただし、この2003年のスタイルと、後のガーリーメイクが完全に同じというわけではありません。 時代とともに、少女らしさの表現も変わっていったのです。 ⸻ ④ 蒼井優という存在 2004年『花とアリス』。 2006年『ハチミツとクローバー』。 黒髪、自然な眉、飾らない表情。 私が印象的だったのは、特別に作り込まれていないように見えるのに、独特の存在感があったことです。 華やかなメイクや派手なヘアスタイルとは違う。 どこか無防備で、繊細で、少女のような透明感。 蒼井優は、以前から日本に存在していた自然体の美しさを、強く印象づけた女優の一人だったと思います。 ⸻ ⑤ 2007年、自然体の魅力とナチュラルメイク 2007年9月、写真集『ダンデライオン』が発売されました。 ロシアを旅する蒼井優を撮影したこの写真集は、全ページすっぴん。 同年11月のイベントでは、本人も普段から化粧をしないと語っています。 しかし、蒼井優の魅力は、すっぴんだけではありませんでした。 映画や雑誌、広告では、透明感のある肌、自然な眉、控えめなアイメイク、柔らかな血色を生かしたナチュラルメイクも見せていました。 素顔の自然体な魅力と、メイクによって表現される繊細な美しさ。 どちらも、蒼井優という存在の魅力だったと思います。 ⸻ ⑥ 2000年代、日本の少女的メイクは別の形でも広がっていた。 一方、日本では2000年代中頃、モテ系や愛され系など、可愛らしさを重視したスタイルも広がっていました。 そして2008年頃からは、梨花や益若つばさなどに象徴されるガーリーなメイクが人気を集め、ピンク系のチークも注目されていきます。 頬にふんわりと色をのせ、柔らかく、愛らしい表情をつくる。 これは蒼井優本人のすっぴんに近いスタイルとは異なる表現です。 2003年の『Olive』に見られた少女的な血色表現とも、似ている部分はあっても、同じ流行ではありません。 日本では、自然体の美しさと、メイクによって演出する少女らしさが、それぞれの形で発展していました。 ⑦ 2006年から2009年、森ガールの誕生 2006年、mixiのコミュニティから「森ガール」という言葉が生まれました。 そして2009年、『別冊spoon.』が蒼井優を起用した「森ガール A to Z」を刊行。 ゆったりしたワンピース、重ね着、レース、自然素材、手作りの小物。 ナチュラルな髪型や、柔らかなメイク。 ファッションだけでなく、音楽、本、写真、雑貨、暮らし方まで含めた世界観でした。 2009年の雑誌編集者も、森ガールを単なるファッションの流行ではなく、以前から続いていた文化系女子のカルチャーとして語っています。 かつてのOlive少女の感性が、新しい時代に別の名前で注目された。 そんな一面もあったのだと思います。 ⑧ 日本のファッション文化の面白さ - 続き👇
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ここで忘れてはいけないことがあります。 当時の日本女性が、みんなナチュラル系や森ガールになったわけではありません。 ギャルもいた。 エビちゃんOLもいた。 お姉系も、姫系も、アゲ嬢もいた。 そして、蒼井優のような自然体の美しさに惹かれる人たちもいた。 同じ時代、同じ街の中に、まったく違う美意識が共存していたのです。 一つの流行だけでは語れない。 私は、この多様さこそが日本のファッション文化の大きな魅力だったと思っています。 ⸻ ⑨ では、当時の韓国ではどうだったのか。 私は当時、韓国のファッションの現場にいました。 日本の音楽、ファッション、ヘアスタイル、メイク。 韓国の流行を見ていると、日本で先に見かけた表現とよく似たものに出会うことが何度もありました。 形を少し変え、違う名前をつけ、新しい流行として紹介される。 そんな場面に、複雑な気持ちを抱いたこともあります。 もちろん、すべてが日本から来たものだと言うつもりはありません。 しかし、当時の韓国の流行を語る上で、日本の影響を抜きにすることはできないと、私は感じています。 ⸻ ⑩ 日本と韓国、実際の街のメイクには違いがあった。 特に印象に残っているのが、頬のメイクです。 日本では、少女らしい血色を表現するチークが、女性誌だけでなく、さまざまな日常のメイクスタイルにも取り入れられていました。 一方、当時の韓国ではどうだったでしょうか。 芸能人、特にアイドルのメイクでは、ピンクのチークを使う姿を見ることがありました。 しかし、私が実際に見ていた韓国の街では、一般女性が日常的にチークを使う姿はほとんど見かけませんでした。 肌のベースや目元、唇を中心に整えるメイクが多く、頬をふんわりと赤く染めるスタイルは、私の周囲ではごく少数でした。 テレビや雑誌のメイクと、一般女性の実際のメイク。 その二つは、決して同じではありません。 これは当時の現場で感じた、大きな違いの一つです。 ⸻ ⑪ 2008年、韓国の「蒼井優」 2008年2月、韓国の新人歌手JOOが、現地メディアで「韓国の蒼井優」と紹介されました。 薄いメイク、清純な雰囲気、髪をまとめたヘアスタイル。 そのイメージが、蒼井優と比較されていたのです。 当時、韓国の芸能界やメディアが日本の女優の美的イメージを認識していたことを示す、興味深い記録だと思います。 しかし、芸能界で紹介されたことと、韓国の一般女性の間で同じスタイルが広く定着していたことは別の話です。 私は、この違いをはっきり分けて記録しておきたいと思います。 ⸻ ⑫ 2011年、韓国で紹介された「蒼井優メイク」 2011年7月、韓国の美容メディアでは、蒼井優のメイクとヘアスタイルを再現する方法が紹介されました。 透明感のある肌、控えめなアイメイク、アプリコット系のチークとリップ、自然なウェーブヘア。 蒼井優は、すっぴんの自然体な姿だけでなく、映画や雑誌、広告で見せるナチュラルメイクにも独特の魅力がありました。 韓国の記事では、そうした蒼井優の雰囲気が、具体的なメイク方法として紹介されていたのです。 ただし、記事で提案されたメイク方法が、本人の実際のメイク技法と完全に一致するとは限りません。 それでも、日本の女優が持つ美的イメージが、韓国の美容メディアでも一つのお手本として扱われていたことは分かります。 そして、これが当時の韓国の一般女性の間で広く流行していたかどうかは、また別の問題です。 ⸻ ⑬ 私が感じていた、もう一つの違和感 当時の韓国では、既存の作品や表現を少し変えて使うことを、俗に「ウラカイ」と呼ぶような言い方もありました。 日本の音楽やファッションの影響は、実際にさまざまな形で韓国に入ってきていました。 しかし、その元になった文化や、どこから来た表現なのかが十分に紹介されないと感じる場面もありました。 私が複雑な気持ちになるのは、文化が国境を越えること自体ではありません。 むしろ、そこには面白い変化も生まれます。 ただ、その過程にあった日本の文化や、先にその表現を生み出してきた人たちの存在まで、見えなくなってしまうことには違和感があります。 これは、当時の現場を経験した私自身の記憶と感情です。 ⸻ ⑭ もう一つの平成を忘れないために。 安室奈美恵の時代。 浜崎あゆみの時代。 華やかなギャルや盛りメイク。 そして、蒼井優の自然体の美しさや、森ガールの世界観。 どれか一つだけが、平成の日本ではありませんでした。 それぞれ異なる美意識が同時に存在し、その一部が国境を越えて韓国にも伝わっていきました。 私は、雑誌や当時の記事に残された記録だけでなく、実際に自分が見て、感じてきた街の空気も大切にしたいと思っています。 続きは次の返信へ👇
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⑭ 続き 流行がどこで生まれ、どのように伝わり、どう変化したのか。 そして、当時そこにいた人間には、どのように見えていたのか。 これからも、そんな視点で日本のファッションとメイク文化を振り返っていきたいと思います。 単なる懐かしさではなく、私が経験した時代の記録として。 次回は、蒼井優のスタイルが韓国でどのように受け止められていたのか、そして2000年代末から2010年代初頭の韓国の芸能界で起きていたイメージの変化を、아이유(IU)などの具体的な事例とともに振り返ります。 #平成メイク #蒼井優 #森ガール #日韓比較
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MAKEUP ARCHIVE #04 盛りメイク 今回は前回に続いて、 2000年代の日本と韓国のメイクを、同じ時代の一般女性たちのスタイルを中心に比較していきます。 当時の日本には、 ギャル系、ナチュラル系、きれいめ系など、 さまざまなメイクが共存していました。 日本では、一つのスタイルが流行したからといって、みんなが同じ格好をするわけではありません。 いくつもの流行が同時に存在し、その中でも一人ひとりが自分らしいスタイルを大切にしていました。 私は、こういうところも日本のFashionやBeautyの大きな魅力だと思っています。 その中から今回取り上げるのは、 女の子たちが自分たちの工夫で進化させてきた「盛りメイク」です。 2000年代の日本では、 キャバクラで働く女の子たちのメイクや髪型が、 雑誌を通して多くの女性たちの憧れになっていました。 今振り返っても、 これは本当に面白い文化だと思います。 その象徴の一つが、 『小悪魔ageha』です。 2005年に前身となる雑誌が創刊され、 夜の仕事をしている女の子たちが、お互いのメイクやヘア、ドレスを参考にできるように作られていました。 でも、その人気は夜の世界だけでは終わりませんでした。 学生やOLにも読者が広がり、 2009年には公称発行部数が月30万部に。 デカ目、盛り髪、巻き髪、つけまつげ、カラコン。 当時の「盛りメイク」は、 ただ化粧を濃くすることではありませんでした。 自分の目に合うようにつけまつげを切ったり、 何枚も重ねたり。 アイラインやカラコンで目元の印象を変え、 エクステや巻き髪で顔全体のバランスまで考える。 生まれつきの顔だけでなく、 自分の工夫と技術で「かわいい」を作っていく。 そこが本当に面白かったと思います。 カラコンは、実は90年代から日本でも使われていました。 2000年代に入ると、 そこにつけまつげやアイライン、 さまざまなメイクの工夫が加わり、 目元をより大きく、華やかに見せるスタイルが発展していきます。 『小悪魔ageha』は、 そうした「盛り」の文化を象徴する雑誌の一つでした。 そして、この文化を動かしていたのは、 有名な女優や歌手だけではありません。 『Popteen』で人気になった益若つばさも、 その代表的な存在です。 雑誌の読者モデルだった彼女は、 2009年には自らプロデュースした アイメイクブランド『DOLLY WINK』を発売しました。 女の子たちが自分たちで作り上げたスタイルが、 やがて商品になり、大きなBeauty市場へとつながっていく。 私はここにも、 当時の日本のFashion・Beauty文化の強さを感じます。 では、その頃の韓国はどうだったのか。 私は当時、韓国のFashion業界で働いていました。 韓国でも、日本の雑誌やヘアスタイルは身近な参考資料でした。 美容室のヘアカタログや、 街で見かけるヘアスタイルの写真。 そこには日本の影響を感じるものが本当に多かったと記憶しています。 実際、2005年には日本式のシャギーカットが韓国の若者たちの間で流行していたことも、当時の新聞に残っています。 メイクも同じように、 日本の雑誌で見ていたスタイルや表現を、 韓国の女性たちの中に感じることがありました。 日本の雑誌、ヘア、メイクの影響を抜きに、 当時の韓国のBeautyを語ることは難しいと私は思っています。 ただ、実際に街で見かける一般の人たちのスタイルは、テレビに出ている芸能人たちとはかなり違っていました。 韓国は今でもそうですが、 芸能人と一般の人たちのFashionやBeautyには、 本当に大きな差があるんです。 このことについては、 また別の機会に詳しく話したいと思いますが、 当時の韓国の一般女性のメイクは、 正直、本当に普通でした。 一つの流行が広まると、 似たようなヘアやメイクが街に増えていく。 日本のように、さまざまなスタイルが同時に存在し、それぞれが個性を出している雰囲気とは、かなり違って見えました。 むしろ、私が当時見ていた限りでは、 台湾の女の子たちのほうが、メイクもFashionもずっとおしゃれで、センスが良かったと感じています。 そして、この「盛り」のスタイルを発展させ、 流行を作り、文化として育ててきたのは 日本の女の子たちでした。 今では当たり前になった、 つけまつげやカラコンを使ったデカ目メイク。 その背景には、 平成の日本の女の子たちが積み重ねてきた工夫やアイデアがあります。 しかも日本では、同じ時代にまったく違うメイクやFashionも生まれ、いくつもの「かわいい」が共存していました。 私は、こうした日本のBeauty文化が韓国を含む海外にどれほど影響を与えてきたのか、その歴史をもっと多くの人に知ってほしいと思っています。 『小悪魔ageha』や『Popteen』を読んでいた皆さんの、当時の思い出もぜひ聞いてみたいです☺️ #盛りメイク #平成メイク
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1枚目と2枚目は、2005年頃の『小悪魔ageha』前身誌時代の写真。 3枚目と4枚目は、2005年の韓国・江南(カンナム)のストリートスナップです。 ちなみに、韓国の写真も当時としてはかなりファッショナブルなスタイルです。
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90年代後半の部屋紹介風に作ってみた🌺 あたしの自己紹介だよ❤︎
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今のプリ、必ず盛れるから良い。 けど平成のプリは落書き機能多くて、 ペンの種類から違う...🤔 あとめっっちゃビビットカラー‼️‼️ 限定で平成プリモードあったけど、 またそれできるようになってほしい🥹 (あわよくば、分割も36分割で...w)
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MAKEUP ARCHIVE #03 浜崎あゆみ 2010年頃、 韓国で「ギャル」が大きな話題になりました。 でも日本では、 その頃にはもう 次のBeautyが始まっていた。 この“時間差”、 当時を知っている人なら なんとなく分かると思います。 私は当時、 韓国のFashion業界で働いていました。 日本の雑誌を見るたびに メイクも、髪も、Fashionも どんどん変わっていく。 でも韓国では、 日本ですでに存在していたいくつかのスタイルが 比較的長く残っていく。 その違いを、 仕事をしながらかなり感じていました。 その流れを考えるうえで、 2000年代の日本のBeautyから 絶対に外せない存在の一人が、 浜崎あゆみです。 90年代後半までのギャル文化では、 日焼けした肌、 茶髪、 細眉、 厚底、 そしてガングロやヤマンバのような より強い表現まで広がっていきました。 しかし1999年前後から、 浜崎あゆみの人気が爆発すると、 ギャルの中にも また新しい大きな流れが生まれていきます。 白い肌。 金髪に近い明るい髪。 大きく見せた目。 囲みアイライン。 目頭のハイライト。 ラメ。 ベージュやヌード系のリップ。 それまでの 「黒く焼いたギャル」とは違う、 いわゆる 「白ギャル」のイメージが 一気に強くなっていきました。 もちろん、 浜崎あゆみ一人が 白ギャル文化そのものを 作ったわけではありません。 でも、 1999年以降の彼女の大ブレイクとともに、 白い肌と明るい髪、 大きく見せる目元を中心としたスタイルが 広く支持されていったことは、 当時の雑誌や街の写真を見ても かなり分かりやすいと思います。 そして重要なのは、 これは 「メイクだけ」の流行ではなかったことです。 明るいヘアカラー、 ストレートや巻き髪、 ネイル、 Fashion、 アクセサリー、 肌の見せ方。 全部が一緒になって、 一つのスタイルを作っていました。 2000年前後には、 浜崎あゆみのように 目を大きく見せるため、 黒いアイラインで目元を囲み、 目頭にハイライトを入れ、 ラメで光を足す。 そんな“目ヂカラ”の強いメイクを 真似する人も増えていきます。 そしてもう一つ、 浜崎あゆみのスタイルを 当時の韓国でそのまま真似するのは、 今考えるより ずっと難しかったと思います。 韓国でも ヘアカラー自体は すでに広がっていました。 でも主流は、 自然なブラウンや ハイライトなど。 髪全体を 明るい金髪までブリーチする。 そこに、 強いアイメイク、 派手なFashionまで合わせる。 今ならそこまで珍しくありません。 でも当時の韓国では、 「遊んでいるように見える」 「不良っぽい」 と受け取られることも多かった時代でした。 俳優のように 大衆的なイメージを求められる芸能人が、 浜崎あゆみのような 明るい金髪をずっと維持することも、 かなり難しかったと思います。 アイドルが ステージや活動期間だけ、 一時的に強いヘアカラーを 見せることはあっても、 それを日常のスタイルとして、 メイク、 ヘア、 Fashionまで 全部まとめて取り入れるには、 まだ社会的なハードルが高かった。 だから、 浜崎あゆみのスタイルは 韓国でも知られていましたが、 そのまま真似するには、 当時の韓国社会では 少し早すぎたのだと思います。 私はこの部分を、 当時の韓国を知らない世代が 今の感覚だけで見ると、 かなり見落としやすいと思っています。 #浜崎あゆみ #平成メイク
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そして日本では、 その後も変化が止まりませんでした。 2000年代中盤になると、 ブラウン系のアイシャドウ、 重ねたマスカラ、 つけまつげ、 カラーコンタクト、 エクステ、 ピンクベージュ系のリップなど、 いわゆる「盛りメイク」へと さらに進化していきます。 一方、 当時の韓国を見ると 少し面白い違いがあります。 日本では90年代後半から2000年代にかけて、 ギャル、 白ギャル、 盛りメイク、 ナチュラル系など、 いくつものBeautyの流れが 次々と細分化していきました。 韓国では、 日本ですでに見られていた 複数のメイクの流れの中から、 一部のスタイルや要素が 比較的長く主流として残っていきました。 スモーキーメイクも その一つです。 日本ではその間にも メイク、ヘア、Fashionが 次々と変化していましたが、 韓国では すでに存在していた一部のスタイルが 2000年代を通して 比較的長く使われていました。 そして、 もう一つ面白いのが 「時間差」です。 日本では2000年代後半になると、 強く盛るメイクだけではなく、 ゆるふわ、 大人かわいい、 ナチュラルな肌、 といった、 80年代以降、 形を変えながら日本のBeautyに存在してきた ナチュラルな美意識が、 また少し違う形で 広がり始めていました。 その頃、 韓国では逆に、 日本の「ギャル」という文化そのものが 大きく注目され始めます。 2010年前後になると、 テレビでも 韓国のギャルが取り上げられ、 強いアイメイク、 つけまつげ、 明るいヘア、 ギャルFashionなどが、 大きな話題になりました。 芸能人の間でも、 ギャルを意識した メイクやFashionが見られるようになり、 2011年には韓国で、 「大衆スターに表現された ギャルメイク」 をテーマにした研究まで 発表されています。 日本では1990年代後半から すでに始まっていたギャル文化が、 形を変えながら 2000年代を通して進化していた。 一方、 韓国では2010年前後になって、 「ギャル」という名前とともに そのスタイル自体が 改めて大きな話題になった。 私はこの時間差が、 当時の日韓のBeautyを比べるうえで かなり重要だと思っています。 安室奈美恵から始まった 90年代の大きな流れ。 そこからギャル文化が広がり、 浜崎あゆみの登場によって、 白い肌、 明るい髪、 大きな目、 ラメ、 強いアイメイク、 そしてFashionやヘアまで含めた、 2000年代の新しい 「かわいい」が広がっていった。 次は、 この流れがさらに強くなった 2000年代の「盛りメイク」と、 その後、 韓国でギャルが 大きく話題になった時期を、 当時の写真や資料と一緒に もう少し詳しく見ていきます。
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元ポストの写真について 👇 ① 2000年前後の浜崎あゆみ ② 2000年代初頭、日本で広がった白ギャルスタイル ③ 2010年前後、韓国のテレビで紹介されたギャル ④ 2011年、ヒョナ「Bubble Pop!」 日本ではすでに長く変化していたギャル文化が、 韓国では2010年前後になって 「ギャル」という名前とともに大きく注目され始めます。 ④は「ギャルをそのままコピーした」という意味ではなく、 当時の韓国の大衆スターにも、 明るいヘアや強い目元など、 日本のギャル文化と重なる要素が見られるようになった一例です。
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MAKEUP ARCHIVE #02 ギャル 韓国では今、 K-BeautyやK-Fashionの文脈で語られるスタイルの中にも、 実はその少し前の日本で すでに広がっていた表現や空気感が 少なくありません。 このアーカイブでは、 90年代のFashion・Beautyから、 2000年代、2010年代、 そしてNewJeansのような現在のスタイルまで、 その流れを少しずつ遡って見ていきます。 その中で、 絶対に外せないのが「ギャル」です。 ギャルは、 ただの「濃いメイク」の名前ではないと思います。 茶髪、細眉、日焼け肌、 ルーズソックス、厚底、制服の着崩し。 もちろん、 見た目には分かりやすい特徴がありました。 でも、 ギャルの本質は それだけじゃなかった。 他人の基準に合わせず、 自分の「かわいい」を自分で決めて、 それを最後まで貫く。 私は、 そのマインドこそが ギャル文化の大きな魅力だったと思っています。 そしてこの文化は、 突然どこかから現れたものではありません。 90年代、 安室奈美恵に憧れる女の子たちが増え、 茶髪、 細眉、 日焼けした肌、 ミニスカート、 厚底。 そうしたスタイルが 渋谷の街や雑誌、 若者文化の中でどんどん広がっていきました。 もちろん、 ギャル文化のすべてを 安室奈美恵一人が作った、 という意味ではありません。 でも、 アムラー現象が その後のコギャル・ギャル文化を 大きく広げるきっかけの一つになったことは、 当時の空気を見れば かなり分かりやすいと思います。 そして、 そのギャル文化は 日本の中だけで終わりませんでした。 90年代後半から2000年代にかけて、 韓国のFashionやBeauty、 芸能界のスタイルにも、 日本のギャルや 当時の日本の若者文化を 強く感じさせるものが 少しずつ増えていきます。 髪色。 眉。 アイメイク。 肌の見せ方。 制服の着こなし。 アクセサリー。 写真の撮り方。 当時を知っている人なら、 「これ、どこかで見たことあるな」 と思うものも 少なくないはずです。 私は韓国人で、 以前は実際にFashion業界で働いていました。 だからこそ、 韓国が日本のFashionやBeautyを どのように見て、 どのように参考にし、 そこから自分たちの形に変えていったのか。 その流れを かなり近いところで見てきました。 もちろん、 影響を受けること自体は 悪いことではありません。 文化は、 影響し合い、 真似し、 参考にしながら、 そこからまた 新しい形が生まれていくものだと思います。 でも、 ギャルのように、 日本の女の子たちが 街、雑誌、音楽、Fashion、Beautyの中で 長い時間をかけて育ててきた文化まで、 後になって そのルーツがほとんど語られなくなるのは、 やっぱり少し違うと思います。 ギャルは、 ただ派手だったわけじゃない。 周りに合わせるより、 自分の好きなものを選ぶ。 誰かに「変だ」と言われても、 自分の「かわいい」を曲げない。 その強さまで含めて、 ギャルは 日本の女の子たちが作ってきた 誇るべきカルチャーの一つだと思っています。 そして次は、 このギャル文化が 韓国のFashion・Beauty・芸能界に どう入っていったのか。 実際の写真や当時の資料を見ながら、 もう少し具体的に追っていきます。💝 #ギャル #平成ファッション #jk
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1990年代の日本と韓国のストリート。 日本ではすでに個性的なスタイルが広がり、 韓国でも茶髪・厚底・ロングヘアなど、アムラー系を思わせるスタイルが見られるようになります。
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韓国では、なぜ「オマージュ」の相手への言及やリスペクトが語られないのか。 私は韓国人です。 以前は実際にFashion業界で働いていました。🫧 だからこそ、 韓国と日本のFashionやBeautyが どう影響し合ってきたのかを、 かなり近いところで見てきました。 文化は、 影響し合って育つものだと思います。 真似することも、 参考にすることも、 そこから新しいものを作ることも、 私は否定しません。 でも、 元になった対象への言及も、 リスペクトも見えないものまで 「オマージュ」と呼ぶのは違うと思います。 そもそも、 コピーとオマージュは同じものではありません。 コピーは、 元の表現やスタイルをそのまま、 あるいは非常に近い形で再現すること。 オマージュは、 元になった作品や人物への敬意を前提に、 その影響を明らかにしながら、 自分なりの表現へ再構築していくものだと思います。 元になった対象への言及も、 リスペクトも見えないまま、 ただ似たものを作っただけなら、 それを簡単に 「オマージュ」と呼ぶことには 違和感があります。 無から何かを生み出すことも、 すでにあるものから 新しい形を作り直すことも、 どちらも本当に大変なことです。 ものを作ったことがある人なら、 その大変さは分かるはずです。 日本のイラストを見ているだけでも、 どれだけ発想や表現が豊かで、 創造性の高い文化なのかは 十分伝わると思います。 だからこそ、 誰かが時間をかけて作ったものを 簡単に真似して、 そのルーツや影響元を語らないまま 自分たちのもののようにしてしまう。 それは、 やっちゃいけないことではないでしょうか。 日本でも、海外でも、 自分が影響を受けた人、 憧れていた人、 オマージュした作品について、 「この人から影響を受けた」 「この作品をリスペクトしている」 と、 元になった名前を出して語ることがあります。 たとえその後、 自分たちの形に変え、 もっと大きく広げたとしても、 最初に影響を与えた存在への リスペクトは残る。 私は、 そこが大事だと思っています。 ここで誤解してほしくないのは、 私は韓国の若い世代全体について 話しているわけではありません。 最近の若い人たちの中には、 「これは日本のもの」 「日本から影響を受けた」 と自然に認めて、 日本文化をきちんと リスペクトしている人もたくさんいます。 私がここで言いたいのは、 韓国の芸能界、 エンターテインメント業界、 そしてメディアの話です。 特に日本から受けた影響について、 元になった名前が ほとんど語られないまま 広がっていくケースが 少なくないと感じます。 実は、 FashionやBeautyだけじゃない。 いろんな文化にも。 Fashion。 Beauty。 Hair。 音楽。 そして、 それ以外の文化にも。 実際には日本をかなり参考にし、 時には 「そっくり」と言われるほど 似たものまで作ってきたのに、 なぜ、 その元になった日本の名前は こんなにも語られないのでしょうか。 そうなると、 ひとつの疑問も浮かびます。 元になった日本の名前を語らず、 あたかも韓国から生まれたもののように 見える状態が続けば、 それを 「韓国文化」だと思う人は増えていく。 そして、 K-POP。 K-Beauty。 K-Fashion。 こうした 「K」のブランドイメージも強くなる。 その結果、 韓国のエンターテインメント産業や 関連するビジネスにも、 大きな経済的メリットが生まれます。 ただ、 実際にこの業界で仕事をしてきた 私個人の視点から言えば、 韓国が日本の影響を受け、 参考にし、 時にはかなり近い形で取り入れてきた例は 数多く見てきました。 でも、 FashionやBeautyの オリジナリティや文化的な蓄積という意味で、 「日本を超えた」と感じたことは、 私は一度もありません。 少なくとも、 私にはそう見えています。 ここまで同じようなことが 繰り返されているのを見ると、 「元になった日本の名前を語らない方が、 韓国発というイメージを作りやすく、 その方がエンターテインメントや ビジネスにとって都合がいいのではないか」 という合理的な疑いを 持たざるを得なくなります。 影響を受けることは悪くない。 真似することだって、 そこから新しいものが生まれるなら、 文化が広がっていく過程のひとつだと思います。 だからこそ、 何に憧れたのか。 どこから影響を受けたのか。 誰から学んだのか。 その名前くらい、 ちゃんと残してもいいんじゃないかな。 文化を受け取ることと、 そのルーツを消すことは、 同じではないと思います。 ψ(`∇´)ψ
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※参考イメージ こういう雰囲気の作品もあれば、 まったく違う方向のイラストもたくさんある。 日本のイラスト文化は、 一つの型では収まらないほど豊かで創造的だと思う。
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MAKEUP ARCHIVE #01 安室奈美恵 これは、安室奈美恵だけの話ではありません。 イ・ヒョリ、IU、G-DRAGON、NewJeans。 韓国のFashion・Beauty・K-POPを遡っていくと、 その前に日本で生まれていたスタイルやカルチャーに 何度もぶつかります。 参考、再構築、 そして時には「そっくり」と報じられたものまで。 元になった対象への言及も、 リスペクトも見えないものまで 「オマージュ」と呼ぶのは違うと思います。 そして時間が経つほど、 元になった日本側の名前やルーツが語られなくなり、 最後に広まったものだけが 「韓国発」として記憶されていくことがあります。 まずは、 その分かりやすい例のひとつ。 安室奈美恵から見ていきます。 安室奈美恵は、 日本だけの社会現象ではありませんでした。 90年代後半の韓国でも、 若者や芸能人たちは彼女のFashion・Hair・Makeupを 実際に参考にし、真似していました。 当時の日本では、 茶髪。 細い眉。 日焼けした肌。 ミニスカート。 厚底ブーツ。 安室奈美恵のスタイルを真似する 「アムラー」が社会現象になりました。 でも、安室奈美恵が与えた影響は 「アムラー」だけではありません。 彼女に憧れた女子中高生たちが 渋谷や109に集まり、 その流れは90年代後半の コギャル、そして巨大なギャル文化へと つながっていきます。 つまり安室奈美恵は、 アムラーの象徴であると同時に、 その後のコギャル、ギャル文化が 大きく広がっていく上でも 重要な存在でした。 そして、 私が伝えたいのはここからです。 その影響は韓国にも届いていました。 当時の韓国は、 反日教育や反日感情も強く、 日本大衆文化を今のように 自由に楽しめる時代ではありませんでした。 日本大衆文化の段階的な開放が 始まったのは1998年。 それ以前から、 日本のCD、雑誌、ビデオなどは 非公式なルートも通じて 韓国の若者たちの間に入っていました。 そんな時代でも、 安室奈美恵。 X JAPAN。 木村拓哉。 こうした日本のスターたちは 韓国で強い人気を持っていました。 あの時代背景の中で、 国境を越えてそこまで支持されていたこと自体、 今振り返っても かなり特別なことだったと思います。 そして安室奈美恵の場合、 影響は音楽だけではありませんでした。 Fashion。 Hair。 Makeup。 韓国の芸能界でも、 安室奈美恵は強い憧れの対象でした。 たとえば、ソン・ヘギョ。 高校生時代に撮影された映像には、 彼女の手帳の1ページいっぱいに 安室奈美恵の写真が貼られている場面が 残っています。 そして、イ・ヒョリ。 韓国で安室奈美恵の影響を語るなら、 彼女は絶対に外せない存在です。 Fin.K.L時代からソロ活動初期にかけて、 衣装、 ヘアスタイル、 ポーズなどが 安室奈美恵と何度も比較されてきました。 2003年にはKBS WORLDが、 「イ・ヒョリの衣装、安室奈美恵とそっくり!」 というタイトルで、 両者の衣装とコンセプトの類似を報じています。 イ・ヒョリ側は、 意図的に真似したものではないと説明しています。 もちろん、 すべてを本人の意思によるコピーだったと 断定するつもりはありません。 ただ、 90年代〜2000年代初頭の 韓国Fashion・Beautyを語る時に、 日本の影響がほとんど無かったかのように 扱うのは、 当時を知っている私には かなり違和感があります。 安室奈美恵は、 その最も分かりやすい例のひとつです。 私は韓国人だからこそ、 この時代を実際に覚えています。 記憶だけではなく、 当時の映像、 写真、 記事を使って、 韓国で日本のFashion・Beautyが どのように受け入れられ、 どのように参考にされ、 どのように真似されていったのか。 少しずつファクトチェックしていきます。 次は、 韓国芸能界と安室奈美恵。 今も残っている映像や写真を 実際に見ていきます。 #安室奈美恵 #平成ファッション
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写真について👇 ① 安室奈美恵 ② 1990年代後半のコギャル文化 ③ 高校生時代のソン・ヘギョの手帳。 1ページ全体が安室奈美恵の写真で埋め尽くされています。 ④ イ・ヒョリが安室奈美恵のスタイルを真似していた当時の比較写真
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このアカウントを始めようと思った、ひとつのきっかけがあります。 東京・新大久保のカフェでのこと。 近くの席で、 韓国人男性2人と日本人女性2人が話していました。 男性たちは、 「今はK-POPファッションがすごい」 「美容も韓国がすごい」 「韓国がトレンドを作っている」 というような話をしていました。 最初、私は日本人女性2人が 相手に合わせて 「へえ、そうなんだ」 と聞いているだけだと思っていました。 ところが、 韓国人男性2人が一度席を離れたあと、 女性2人だけになっても、 「本当に韓国のファッションってすごいんだね」 「美容もやっぱり韓国なんだね」 という話を続けていた。 正直、その時はかなり驚きました。 ( ̄▽ ̄) K-POPが好きなのは何も問題ありません。 でも、 K-POPをきっかけにFashionやBeautyを知ったことで、 その前に日本に存在していたものまで 見えなくなってしまうことがあるのか。 そう思ったんです。 安室奈美恵。 ギャル。 浜崎あゆみ。 渋谷109。 日本の雑誌文化。 盛りメイク。 蒼井優。 イガリメイク。 日本には、 今につながるFashionやBeautyの膨大な蓄積があります。 しかも私は韓国人です。 だからこそ、 当時の韓国が日本のFashionやBeautyを どれだけ真似していたのかも知っています。 それなのに、 時間が経つにつれて その過程が抜け落ち、 最後に見たものだけが 「韓国発」として記憶されていく。 それが、ずっと気になっていました。 だからこのアカウントでは、 記憶だけではなく、 当時の日本と韓国の資料を並べて見ていきます。 まずは90年代。 安室奈美恵から始めます。 当時を知っている方は、 ぜひ皆さんの記憶も聞かせてください。🥹
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